平成10年7月3日(金)午後1時30分ー4時に第4回公判(原告、被告証人尋問)が開催されました。以下はそこでの原告陳述の内容です。(但し、プライバシー保護のため、原告電話番号のみ省略しております。)


陳述書



1.淡路島移住と黒い土問題との遭遇

私たち家族は、平成9年4月3日、雨の降りしきる中、五色町に引っ越してきました。その翌日から、「ホーホケキョー」というウグイスの軽やかな鳴き声で目が覚めるといった自然環境に感激し、念願の田舎暮らしがやっと始まったのだという喜びでいっぱいでした。1〜2週間後のそんなある日のこと、近くの喫茶店「のん」にふらっと出かけ、そこで以前から知り合いの竜虎五色町助役に偶然出会いました。開口1番「先生、いつから田舎に帰ってきているのですか。実は頭の痛い問題が発生して困っている。是非、智恵を貸してほしい」と言われました。(その後、私の智恵を借りに来たことは一度もないので、これは助役の単なるお世辞にすぎなかったのですが。)「何ですか」と問い返すと、「まだ何も知らないのですか」といって、店に積んであった神戸新聞の中から関連記事を探し出してきて、私に見せてくれました(添付資料1)。島外から五色町に持ち込まれている建設残土に土壌環境基準の1.7倍のヒ素が含まれており、地元では、マスコミ各紙を含めこの問題を「黒い土問題」と日常的に呼んでいるということを、私はその時初めて知りました。「今もすばらしい自然環境だと思い、30年ぶりにやっと移り住んでくることが出来た故郷の五色町でまさか・・・」私は絶句しました。

しかしながらこうした驚きもつかの間で、私はこの問題に関わる時間的余裕がまったくありませんでした。移り住んできた家はまだ未完成で、ガスは使用出来ず、また風呂にいたってはその後約2ヶ月も使用不可能で、隣の親戚の家にもらい湯に出かけるといった状態だったのです。勿論大工さん、ガス・水道屋さんも引っ越し当時は連日我が家に出入りし、完成を急いでくれました。また家内は、新しい田舎の環境での生活、長男(当時小4)の登校、次男(年中)の保育園登園拒否等の対応に振りまわされておりました。

当時、私は大阪の職場へ通勤のために、自宅から津名港高速艇乗り場まで車で通っていましたが、その通勤途上津名港から搬入される黒い土を満載したダンプトラックに頻繁に遭遇するはめになり、時には狭い道路を我が物顔に走り回るトラックに脅威を感じたり、また次第に憤りすら感じるようになりました。なぜこんな自然のきれいな牧歌的な島に、島民が過去数百年以上にも渡って営々と築き守ってきた無垢の田園地帯に都会のゴミが大量に持ち込まれなければならないのだろうかと。(こうした感情は今でも大多数の淡路島島民と共有できるものです。)と同時に、新しい住環境のもとで時間的余裕もなく、また地元とのネットワークも全然ない私には、こうした状況にまったくの無力感を感じるのみでした。

そんな6月のある日のこと、家内が五色町役場を訪れ、EM(有用微生物群)の有効利用をしている五色町極楽寺の住職三木真佐次さんの奥さんを紹介されました。家内から偶然にも、その住職の三木さんのお寺で、「黒い土」搬入を阻止するために実際に被害にあっている地元の人たちが集まったということを知りました。私は家内の紹介で6月の下旬に三木さんに初めてお会いし、彼から直接町内における黒い土搬入の現状、および地元の人たちのこの問題に対する反応等について、生の声を聞くことが出来ました。「黒い土」搬入反対に3,677名の署名(乙第5号証)および約200名の署名(乙第6号証)が同時に集まったというのです。私はこの署名の数に驚きました。五色町有権者約8,700名の約45%にも達しているのです。しかも三木さんによると、3月12日の町議会開催に間に合わせるために、3月上旬で署名運動を打ち切り、3月10日(月)に議長・町長宛に提出したので、継続して続けておれば、もっと多くの署名が集まったはずだというのです。大多数の町民は「黒い土」搬入に不快感を持っているのだという実感をその時初めて得ることが出来ました。私の実感は的中しました。その直後5月に五色町が独自に行ったアンケート結果で、88.3%の町民が汚染された残土(黒い土)の搬入に反対しているということが判明したのです(甲11号証)。さらに三木さんは、この署名人による陳情を受けて五色町は条例制定に向けて重い腰を上げたようだが、町長がどうも今ひとつ消極的で、また町民の反対運動もその後は停滞気味だといったようなことも語ってくれました。

三木さんのコーディネートで、私は7月13日(日)と7月27日(日)の2回にわたり、夜7時30分から署名運動を展開された地元鳥飼、堺地区の皆さん約20名と懇談する機会を得ました。話し合いの中から、千葉県等では建設残土の搬入規制のための厳しい条例がすでに制定されているので、五色町でも同様の条例を制定してもらうように頑張ろうではないかということになりました。そしてそのために「五色・淡路未来フォーラム(以下、未来フォーラムと呼ぶ)」を結成して、当面この問題を広く町民で一緒に考え、またこの成果を「日本計画行政学会」等で発表してゆこうということになりました。(当面といったのは、この未来フォーラムは、この他にも町内の環境破壊、地域美化、コンピュータ学習、町内産業の育成等々、幅広く五色・淡路島の未来を創造してゆくような取り組みをしてゆこうといったような未来志向的主旨で結成されたからですー第1回五色・淡路未来フォーラムアンケート(添付資料2)参照。)さらに、このための学習会・講演会を8月31日(日)に開催することを決めました。未来フォーラムの代表としては、署名活動を中心的に担われた人か、三木さんが適任で、私は多忙を極めており、あくまでも側面支援しかできないと強く主張したのですが、色々なネットワークやノウハウを持っている大学教授の先生になっていただくのが最適だという声が多数を占め、結局私はミイラ取りに行ったつもりが、いつしかミイラになっており、フォーラム代表を消極的に受け入れざるを得ない状態になっていたのです。

この懇談会で決まった未来フォーラムの内容は、以下のとうりでした(甲第2号証)。
(1)環境基準値問題に詳しい専門家を招待して、黒い土・ヒ素問題のみではなく、もっと広くこうした問題を一般的に講演をしてもらう。
(2)町長、議員に黒い土問題に関するアンケートをお願いし、私たち町民の代表としてこの問題をどのように考えているのかを回答してもらい、それを未来フォーラムで披露する。
(3)町長、議員にもこの未来フォーラムに参加してもらい、この問題を町民全体で考え、話し合うことにする。

しかしながらその後の私は案の定、研究活動に忙殺される毎日でした。まず、8月6日(水)〜10日(日)に開催予定の、緑の地球ネットワーク大学、第5回未来志向複雑系適応研究セミナー、及びそれに続くコンピュータサマーキャンプの主催者として、その準備に追いまくられました。またそのセミナー終了後の8月11、12日の両日は、セミナー参加者のボネイダ博士とビショップ博士が我が家を訪れ宿泊されたので、その対応に終日費やすことになりました。そんな訳で未来フォーラムのことはすっかり忘れており、やっと暇になった13日に急きょそのことを思い出し、黒い土問題に関するアンケート文書および未来フォーラムへの参加招待状を13、14日の2日間で作成・印刷し、翌15日に配達証明郵便にて砂尾町長、杉本議長(当時)以下15名の町議員全員にそれらを郵送しました。そして16日の朝には、国際システムダイナミックス学会での研究発表のため関西空港を出発し、トルコ・イスタンブールへ向かいました。

2.淡路五色ケーブルテレビへの広告放送申し込み

 8月25日(月)の午後、10日間のトルコ・イスタンブール滞在を無事に終えて帰国しました。時差ぼけから回復する間もなく、翌26日(火)午前10時頃に五色・淡路未来フォーラム呼びかけ人の三木さんと一緒に淡路五色ケーブルテレビ局(五色町情報センター)を訪れ、8月31日(日)に予定している未来フォーラムの開催を、五色町のCATVで放送してくれるように依頼しました。鵜尾情報センター所長から無料の文字放送の11chと有料の広告放送の1chの2つがあるという説明を受けたので、このフォーラムの内容は町民が無料で参加できる講演会、学習会といった公の性格を持つものなので、ぜひ無料の文字放送チャンネルで放送してほしいと依頼しました。無料放送の内容は町役場の企画情報課が管理運営しているので、そちらに行って直接申し込むように言われたので、私たちは直ちに役場に出向いて行きました(車で約10分)。高田耕作企画情報課長に同様の趣旨を説明し放送を依頼しましたが、無料の文字放送は、役場関連の情報あるいは町が推奨する内容(例えば、JA、保健所、郵便局等関連情報)に限っているので、町民サイドのフォーラムの案内は出来ないと拒否されました。しかしながらこの未来フォーラムの内容は、生活環境課の管轄になるのでそちらの課からあげてもらえれば放送は可能だとの返事を得たので、直ちに生活環境課の山口正友課長にお会いしてお願いしたところ、確かに有益な企画ではあるが生活環境課が企画した行事ではないので、出来ないと拒否されました。さっそくその旨、高田課長に告げたところ、「広告放送しかないね」と言われました。ちょうどその頃町長室(企画情報課の前にある)に町長が在室していたので、この「黒い土」問題の重要性に鑑み、ぜひともこの未来フォーラムの開催案内を私たちの町営CATVで放送させていただけるようにお願いにあがりたいと高田課長に告げ、了承を得ました。町長とは1995年(平成7年)8月に五色町が主催したセミナーの折りに1、2度お会いし、面識がありました。

町長室のドアが開いていたのでそのまま町長室に入り「町長こんにちは」と挨拶をしました。開口1番「あなたとは話をしたくない。しかしフォーラムには参加する」と強い口調で怒鳴るように町長から言われたので、私は一言も言葉を交わせず、町長室を退室せざるを得ませんでした。「私たちのトップであり、公人でもある町長がなぜ町民にこんな対応しかできないのか、本当に情けないね。しかも町長も参加するとたった今自ら約束してくれたフォーラムを、なぜ無料の文字放送で流してくれないのだろうね。でも、広告放送なら出来るのだから今回は仕方ないね。」私たちはこうした会話を交わしながら再び車を運転して情報センターに戻り、鵜尾情報センター所長に役場での諸経過を告げて、直ちに広告放送を直接申し込みました。時計は午後12時を少し回っていました。持参した未来フォーラムの案内(甲第2号証)では内容が一画面の広告放送には多すぎるといわれたので、私たちはその場で以下のような簡単な内容に絞って5日間広告放送をしてくれるように依頼し、5,000円を支払って契約を済ませました。

第一回五色・淡路未来フォーラム

テーマ 黒い土と汚染問題を考える
会場  五色町民センター
日時  8月31日(日)午後1時ー4時
連絡先 山口 薫 (電話 ○○ー○○○○)


鵜尾所長は、日程も差し迫っているので、放送準備が出来次第放送するようにしますと親切に言ってくれましたので、私たちは彼の好意に感謝し情報センターを後にしました。後日情報センターに確認したところ、広告放送は、その日の夕方から開始されたとのことです。

なお、この日(26日)の午前中、上述の放送依頼の件で高田企画情報課長を訪ねた折り、同課長から「実はホームステイ受け入れ家庭の皆さん全員にちょうど郵送しょうと思っていたのだが、ちょうどいいところでお会いしました」と言われ、8月31日に五色町主催で開催されるロシア・ハバロフスクの少年少女民族アンサンブル「ラーダスチ」講演の舞踏団チームとの夕食会及びホームステイ受け入れのための関連情報等の書類の入った封筒を手渡されました(甲第14号証の2)。私の友人の西岡一輝さんが、トルコへの学会出張中に私に代わって申し込んでいてくれたもので、私たち家族にとってはまったく予期していなかった五色町からの楽しい招待でした。

3.広告放送とホームステイの同時拒否

広告放送の契約を済ませ、昼過ぎに帰宅し、家族みんなで昼食を始めました。トルコ帰国から2日目、久しぶりの家族団らんの楽しい昼食でした。席上、その日の朝に高田課長から頂いたホームステイの案内のことが話題にのぼり、ロシアの子供たち2人のホームステイのことで話が弾みました。昼食後、長男の大地(当時9歳、小学4年)は自分らの子供部屋(2人用)に入り、「どちらのベッドで寝てもらおうかな、このTVゲームならわかるかな。これだったら一緒に出来るかな」と早速31日のホームステイの受け入れのことで頭が一杯になったらしく、子供なりに色々な場面を想定して楽しそうに準備を始め出しました。「あと5日だ!」そんな奇声が子供部屋から漏れ聞こえてきました。

その日の午後6時16分頃、高田企画課長から電話があり、「町長の指示で、広告放送を中止する」と通告してきました。「寝耳に水」とはこのことで、中止理由はと訊ねましたが、何も聞いてないとの一点張りでした。私は口答通告ではなく文書で頂きたいと強く抗議したところ、高田課長はそれでは明日の朝手渡すようにすると渋々約束されました。さらに私がもっと衝撃を受けたのは、「フォーラムをやるような人物は好ましくないので、ホーステイも断るようにという指示が町長からあった」と畳み掛けるように通告してきたことでした。まさにダブルショッキングとはこのことです。「フォーラムとホームステイは全く関係のない行事だ。フォーラムは町民サイドの企画、ホームステイは、町の公式行事である。これは明らかに基本的人権侵害である。これまでの私の研究者としての生活の中で、こんな人格そのものを理由にした屈辱的差別待遇を受けたことはない。こんな横暴は受け入れられない。子供たちも楽しみにしているのだから是非撤回していただきたい」と申し込んだのですが、なしのつぶてでした。私は高校の時に学んだ「すべて国民は法の下に平等であり信条等によって差別されない」という憲法14条の規定を想起しておりました。

さらに、電話口からトリプルショッキングな高田課長の言葉が堰を切ったように流れてきました。「なぜ、黒い土問題のアンケートを配達証明郵便で出したのか。議員の多くは、田舎のやり方と違うと言って怒っている。田舎には田舎のやり方がある」と。「田舎のやり方とは何ですか。なぜ課長は自分とまったく関係のない議員宛への郵便物の配達方法を越権的に取り上げて、私に直接抗議されるのですか。国が決めた郵便配達システムを国民がその利用目的に応じて選択して何が悪いのですか。しかも行政職の1課長が公の立場で立法府の議員のために、しかもこのような理不尽な抗議を1町民に行ってくることが出来る法的根拠は何ですか。」私はこのように課長に反論し、受話器を置きました。昼食後あれほど喜んでホームステイの準備を始め出した子供たちの純真な国際交流への憧れを思い出すと、とてもその場で子供たちにホームステイ中止の事実を告げることは出来ませんでした。結局数日後それとなく話すことにしました。

翌朝、8月27日(水)午前9時に三木氏と役場を訪れ、高田課長から放送中止の文書(甲3号証)を受け取りました。その文書には、広告放送中止の具体的理由が明記されてなかったので、再度その理由を尋ねましたが、「町長からは何も聞いてない。その文書のとうりだ」との一点張りでした。「町長、多数の町議会議員も参加される町民の学習会のお知らせ放送を、しかもその理由を明示せずに一方的に打ち切るのは、横暴であり、憲法で保証されている表現の自由の侵害だ。五色町のCATV(無料、有料の2チャンネル)は、私たちの町民の税金と加入者の受信料でまかなっている私たち町民のためのテレビではないのか」と私たちはその場でも強く抗議しました。さらに「子供たちがあれほど楽しみにしているロシアの子供たちとのホームステイ交流を、しかもすでに町から正式の招待を受けているホームステイを、何故どんな理由で一方的に断るのか」と問いただしましたが、高田課長はフォーラムを企画した人物だからだという昨日の理由を繰り返すのみでした。未来フォーラムのような企画をしなければよかったのだと言わんばかりでした。

4.広告放送中止を受けて

私たちはその後直ちに神戸地裁洲本支部に「放送再開のための仮処分手続きを取りたいのだがどうすればよいのですか」と相談に伺ったところ、同支部の書記官から神戸弁護士会が洲本に支部を設けているので、そこで相談するようにと言われました。早速、電話を入れ、翌28日に神戸から相談担当弁護士が来られることを確認して予約をしました。洲本支部からの帰り、三木さんの案内で五色町の黒い土搬入現場を2、3カ所見学することにしました。実は、黒い土問題のフォーラムを企画しながら、上述のような国際セミナー、トルコ出張等と私は多忙を極めていたので、実際に現場を見たのはその時が始めてでした。

黒い土搬入現場見学の途上、私たちは、「町のCATVでの広告放送は出来ないし、新聞のチラシ広告も金額的に余裕がないので出来ない。ではどうすれば町民にこのフォーラム開催をお知らせし、参加を呼びかけることが出来るのか」と知恵を出し合いました。結局新聞社にお願いをして、無料のイベント告知欄等に掲載して頂くしか方法がないということになり、私はその日の夕方に報道各社にfaxを流しました。その夜神戸新聞の記者から今回の広告放送中止に関する電話取材を受けました。

翌8月28日の神戸新聞朝刊を見て私は驚きました。「閉ざされたCATV:住民フォーラムのCM打ち切る」という大きな見出しで、なんと社会面のトップ記事としてこの事件が大きく取り扱われていたのです(添付資料3)。私はその時初めてこの事件が、マスコミに於ける表現の自由の問題と本質に関わっている重大な問題であるとの認識を新たにしました。その後、朝日、毎日、読売、産経と各社によって、この事件が大きく立て続けに報道されることになりました。

その日の午前10時に昨日電話予約しておいた相談担当弁護士(私たちの代理人弁護士とは別)にお会いし、今朝の神戸新聞の記事をお見せして、放送再開のための仮処分手続きを取るための相談をしました。検討の結果、例え仮処分手続きを取ったとしても3日後に迫ったフォーラム開催日には時間的に間に合わないということになり、その代わり放送再開を強く求める文書を五色町長宛に郵送することにしました。その日の夕方に郵送した内容証明郵便(甲第5号証の1)の骨子は、(1)今回の放送停止は、憲法第21条「表現の自由」を著しく侵害するものであり、また(2)このフォーラムは、「町民サイド」に立った町民の自由な学習・研究及び討論の場であり、「不適当」と町長から一方的に判断される理由はないので、すみやかに「五色・淡路未来フォーラム開催のお知らせ」放送を、当初の契約どうり再開されることを要望するというものでした。さらに、この放送が再開されない場合には、法的手続きを取る予定であることも申し添えておきました。

5.第1回五色・淡路未来フォーラム開催

8月31日(日)午後1時過ぎ、予定どうり第1回五色・淡路未来フォーラムは開催されましたが、マスコミ各紙が広告放送中止事件を大きく報道したことで、地元住民の注目が集まり、かなり緊張した雰囲気の中でのフォーラムとなりました。この未来フォーラムの呼びかけ人はその時点ですでに約130人になっていましたので、私たちは約150名から200名の参加者を予定していたのですが、当日の参加者は約90名と、私たちの予想を大きく下回るものでした。後で聞いたところによると、マスコミ報道で騒ぎが大きくなり、このフォーラムに参加すると反町長派だと見なされ、差別されかねないので参加を差し控えたという人がかなりの数いました。

私はまず代表として挨拶をし、このフォーラムの主旨は今五色町で問題となっている黒い土問題を賛否両論出し合って、専門家の方を含めて町民みんなで考えようとするものであり、反対のための決起集会では決してないということをあらためて強調しました。ついで三木さんの名司会で、フォーラムはプログラムに沿って淡々と進行してゆきました。松木幸夫先生の「環境基準はとは何か」といった約1時間の特別講演会に続き、黒い土問題に関するアンケート回答結果を私が報告している最中に、砂尾町長が山口生活環境課長を従えて会場に来られました。町長のアンケート回答がその場で手渡されたので、私は直ちにその回答結果を会場で披露しました。

町長はあまり時間がないというので、当初のプログラムを変更して、とりあえず黒い土問題に関する町長および五色町の見解をお話しいただくことにしました。その話の中で町長は数字を持ち出して黒板に板書し、ヒ素の量が0.01mg だろうが(その30倍の) 0.3mg だろうが、大した違いはなく人体に対する影響もほとんどないといった趣旨の驚くべき見解を発表されました。さらに退席直前に参加者全員の前で今回の広告放送中止問題にふれ、フォーラム代表から内容証明郵便を受け取ったが、「町長の判断で放送を再開しなかった。法的措置を取るというならば取れ。受けて立つ。」と語気を強めて言われました。

町長退席後、再びもとのプログラムに戻り、残土条例制定に向けて検討中の上木正信五色町総合開発調査特別委員長(当時)を始め他の3名の町議員さんを壇上にお迎えし、目下作成中の残土条例の内容、および約1週間前に五色町で公的視察した、産廃不法投棄に苦しむ五色町の対岸の豊島(てしま)の現状について報告していただきました。その後参加者と議員さんとの活発な意見交換が始まり出し、私はこのような企画をして本当によかったのだとその時初めて実感しました。フォーラム会場で記入していただいたアンケート(添付資料2)にも、同じような結果が示されました。ここは識者の多い都会ではなく、過疎に悩む田舎なのです。その田舎で新しい日本の地方分権化に不可欠なこのような学習会・対話集会が始まったのです。それにつけてもかえすがえす残念だったのは、もっと多くの町民の方にこうした議論に参加していただきたかったし、またそうした参加も予定されていたのですが、今回の放送中止という事件で、参加者が大幅に少なくなってしまったということです。

6. 五色町残土条例の成立

この未来フォーラム終了直後の平成9年9月17日に、「五色町における土砂等の埋立て等による災害及び土壌汚染の防止に関する条例」が議案第54号として五色町議会に提出され、可決成立しました。そして平成10年1月1日から施行されることになりましたが、この条例の内容は実に驚くべきもので、一言に値します。私たちが未来フォーラムで上木正信総合開発調査特別委員長(当時)から受けた説明は、千葉県等ですでに制定されている、環境基本法(平成5年法律第91号)第16条第1項に規定されている「人の健康を保護し、及び生活環境を保全する上で維持することが望ましい基準」、すなわち「土壌環境基準」に基づく条例の制定でした。しかるに、委員会最後の土壇場で執行部一部文言修正提案という形で突如提出された条例は、産業廃棄物処理に適用される数倍から数十倍もゆるやかな基準(ヒ素を例に取ると30倍)を、「土壌安全基準」という言葉で五色町が新たに造語し、「事業主等は、土壌安全基準を越える残土を用いて、事業を施行してはならない(第7条)」という恐るべき内容のものだったのです。

今思うに、砂尾町長の未来フォーラムでのヒ素に関する上記発言は、この執行部提案条例の伏線となっていたのです。「遮水工による措置」の義務づけという付帯事項があるものの、この五色町造語の「土壌安全基準」の下では、逆に遮水工さえ施しておけば、事実上産廃同然の汚染土壌が合法的に堂々と五色町に搬入されることになるのです。国の土壌環境基準は水道法に基づく「水質基準」とも同じものなので、もしこの基準を数十倍も越える残土が合法的に五色町に搬入されだせば、例え完璧な遮水工を施していたとしても、風呂桶からあふれ出す水と同様に溢れ出し、やがては地下水を汚染してゆくことになるのは、小学生にもわかる論理です。しかも五色町では全町に渡ってこの地下水を飲料水にしているのです。地下水はまさしく町民の「命の水」なのです。こうした意味でこの条例は、全国の地方自治体の環境行政の中でも特筆されるべき、行政が犯した犯罪行為であるといっても決して過言ではないでしょう。行政が町民の命と健康を守らなくて、一体誰が守ってくれるのでしょうか。

その後、お隣の一宮町でも「一宮町における残土埋立事業の適正化に関する条例」が平成10年4月1日に公布され、この7月1日から施行されることになりましたが、この条例の内容は、私たち未来フォーラムが望んでいた国の土壌環境基準に立脚したもので、全国の多くの自治体で採用されているいわゆる一般的な建設残土条例となっていました。私たち未来フォーラムでは、この第7条の五色町造語の「土壌安全基準」を「土壌環境基準」に改正していただくように平成9年12月8日に五色町議会に要求書を提出しましたが、総合開発調査特別委員会で却下されてしまいました。平成10年3月8日にはさらに2名の議員さんの紹介署名をつけて請願書(添付書類4)という形で再度議会に提出しましたが、3月の同特別委員会で継続審議扱いを受け、現在に至っております。


7.なぜ「黒い土」問題に過剰反応するのか:町長の黒い霧

砂尾五色町長は、過疎化に悩む五色町を活性化するために、「定住と交流」という政策テーマを掲げて平成7年(1995年)に初当選しました。その頃、私たち家族は、愛知県長久手町に住んでいましたので、当時の状況や町長の政治姿勢を知る由もありませんでしたが、その頃の神戸新聞をひもといてみると、「町民一人ひとりが行政と同じ目の高さで、積極的に町づくりに参加できるような五色町にしたい。」といった町長候補としてのインタビュー記事(神戸新聞、平成7年7月6日(木)、添付資料5)や、「民意重視の対話型行政を」と言った初当選の抱負を語った記事の見出し(神戸新聞、平成7年7月12日(水)、添付資料6)が拝見できます。これらから伺えることは、五色町への定住を歓迎し、町民と対話を進めて行政に反映させるといった地方分権化のリーダーにふさわしい町長のオープンな政治姿勢です。にもかかわらず、希望に満ちて定住を始めて数ヶ月足らずの私たち家族が、なぜ上述のような基本的人権無視の露骨な差別的扱いを受けなければならないのでしょうか。なぜ対話を望む町民の未来フォーラムの言論を弾圧するのでしょうか。

その後、この未来フォーラムの企画を通じて地元の人たちとの交流も広がりはじめ、地元の情報が少しずつ私の耳に入ってくるようになりました。これら情報を総合的に判断しながら知り得たのは、上記の町長の表の顔とはまったく正反対な利益誘導型の政治、町政の私物化の実体でした。常識ではとても考えられないような独裁政治が以下のように横行していたのです。

(a) 初当選の取材記事(神戸新聞、平成7年7月12日(水)、同資料6)の中で町長は「土取り条例は内容が厳しく、業者が守るのは難しい。町も守らせることが出来ず、業者も守れない状態となっているので、・・・現実的なものに改正したい。」と述べています。実はその数年前から、五色町鮎原地区の河上天満宮の裏山(通称天神山)が密かに乱開発され始め、今ではその天神山がスッポリと大きく削り取られ岩肌が無惨にもむき出しになっているのです。天神山は地元住民にとっては河上天満宮の後背の神聖な山であり、100年以上も歌いつがれてきた鮎原小学校の校歌に「神の井垣の朝夕に梅が香匂う辺りなり」と歌われた「神の井垣」の山であり、またウグイスの生息地として知られている山なのです。現在地元では、こうした乱開発の現実に大きな衝撃を受け、天神山ウグイスの森を保存する署名運動が展開されています。また天神山の前には鮎原小学校があり、子供への環境の悪化を懸念する父兄もかなりいます。

私たちの調査によると、その天神山の乱開発部分は、有限会社ダイニチ工業、及び砂尾建材の所有地となっています。ダイニチ工業とは、平成6年6月15日に有限会社砂尾建材が商号変更して出来た会社であり、現在は砂尾町長の親族が経営しています。一方、砂尾建材とは、砂尾町長がかつて何度も代表取締役を勤めた会社であり、従ってダイニチ工業の実質オーナーは現町長であるという認識を地元住民は今でも持っています。平成6年4月1日施行の「五色町土砂の搬出入事業等適正な執行に関する条例」によって、天神山のような土砂取りには、町長の許可が必要となったのですが、五色町の建設課によると、ダイニチ工業からの許可申請が未だに提出されてないとのことです。すなわち、「町も守らせることが出来ない」のですが、これは明らかに条例違反の違法行為です。平成10年3月定例会一般質問(甲第17号証、以下一般質問という)で上木議員がこの問題を取り上げ以下のように質問されております。「鮎原地区には伝統、歴史を有し、住民の尊敬・愛情を集めている天神山がございます。その開発、いわゆるその開発に町長の親族会社のD社これが、条例に定められている(私の調べた範囲ですけれども)申請もせず、町長もこのD社に指導もせず、開発が続けられているんじゃないかとそういう疑問を私はもっております。これは町長でも建設課長でもいいですけれども条例違反ではないのかどうか(116ページ)。」

またこの乱開発部分の一部(五色町鮎原南谷626−1)は、平成8年11月5日にダイニチ工業に売買されるまでは砂尾治町長個人の所有地でした。砂尾町長は、平成4年11月12日から平成6年9月30日まで五色町議会議長として、この五色町初の土砂条例をとりまとめた張本人であり、その条例の内容を十分に熟知していたはずです。にもかかわらず、この条例を無視するような形で自己所有の土地の土砂取りを始めたため、斉藤貢前五色町長によれば、条例に従って早く許可申請を出すように担当課から文書で督促したにもかかわらず、まったく無視されたままになって現在に至っているとのことです。もしこれらが事実ならば、町長自らが条例を遵守しようとしないという行政の首長としてあるまじき行為です。こうした背景を考えれば、なぜ初当選の喜びのインタビューで上述のような土建業者(親族業者)の利益を擁護するような特殊なトピックスをわざわざ取り上げたのかその真意がわかるような気がします。

(b) 五色町鮎原小学校は、児童数増加にともない、現在の教室数では手狭になるということで、現在その増築工事が計画されています。小学校裏にあるその拡張工事の候補地の一つが、昨年5月20日に密かにダイニチ工業に買収されました。密にとは、ダイニチ工業と親交のある地元業者も知らなかったという意味です。町の情報が密かにダイニチ工業に流された可能性があり、違法なイサイダー取引の可能性が高いといわざるを得ません。上木議員の一般質問からさらに引用するとこうなります。「小学校の増築問題に絡んで、私は心配をするわけですよ。五色町のイメージというのが非常に大事ですからね。その増築問題、人口増の明るいニュースにですね、例えば行政の暗い陰をさすというようなことのないように私は町長にお願いしたい。いいですか。後背地に町長、D社関係ないといえば関係ないんです。しかしながらモラルというものがありますからね(120ページ)。」

(c) さらに、五色町の圃場整備事業、公共工事現場には必ずと言っていいほどダイニチ工業が、巧妙に潜り込んでいるそうです。上木議員の一般質問を続けるとこうなります。「町民の中でこの声も非常に高いですね。公共事業の現場がございます。圃場整備あるいは宅地の開発の現場ですけれども、いわゆる町長ですね。親族会社D社の車が往来をしておりますし、比較的事業に参画をしている。非常に目に余るのじゃないかという声が非常に私の耳元に届いております(116ぺーじ)。」さらにこうした工事用の資材等をダイニチ工業経由で購入させられているともいわれております。すなわち、五色町で公共工事、圃場整備事業等が行われれば、ダイニチ工業が潤うという仕組みになっているというのです。また、これにたてつけば仕事が受注できなくなるということで、地元の業者は、沈黙を守り、泣き寝入りさせられているともいわれています。私の家を訪れた某町会議員にいたっては「恐れ多くも砂尾天皇」といった表現を使いました。こうした非近代的・封建的表現の中に私は五色町の町政私物化の実体を見た思いでした。

(d) さらに極めつけは、砂利販売、建築材料の販売、土木工事業等々といったダイニチ工業の事業目的のなかに、「産業廃棄物収集運搬業」が入っているということです。こうした私企業の事業目的に、私は別段とやかく言うつもりは毛頭ありません。問題なのは、ただ不況下の現在でも産廃を違法に動かせば莫大な利益になるといわれている昨今、そうした会社の実質オーナーが現町長であり、その町長が産廃まがいの「黒い土」搬入の旗振り役をしているということなのです。町長が業者から利益供与を受けているのではないのかといった噂が、地元ではまことしやかに語られているのもこうした親族会社、黒い土搬入業者との癒着関係があるからではないのでしょうか。

以上 (a) 〜 (d) のような砂尾町長にまつわる背後関係が、未来フォーラム開催の後で浮かび上がってくることになり、なぜ「黒い土」問題に町長があれほどまでに過剰反応したのか、その背景がやっと私にも理解できた思いです。「町内で町長に公然と反対できるものは事実上誰一人いない。それをやるのは最近引っ越してきた山口だけだ。今のうちにたたいておけ。」きっとこれが今回の事件の本心であろうと私には思われます。

8.広告放送中止の真意とその違憲・違法性

これまでの公判において、被告弁護士から、色々と後知恵的なこじつけの理由が準備書面(1)、(2)で展開されてきました。しかしながら、私はこうした準備書面で述べられているような理由を、町長およびそのスポークスマンである高田情報企画課長から一度たりとも直接に聞いたことがありません。放送中止通告直後、私は再三にわたってその中止の理由を尋ねましたが、3で陳述のようになしのつぶてでした。そこで、新聞記者がこの事件の直後、町長に直接取材し本人から得たコメントが真の理由であろうと考えるのが妥当です。

その理由とは、大別すれば次の2つとなります。
(1)「黒い土の問題はマスコミが勝手に騒いでいるだけ(神戸、8月28日(木)」
(2)「『残土が悪い』とする、一方だけの立場の催しを町のテレビで流すことは町長としてできない(神戸、8月28日)」「法律で産業廃棄物に値しない建設残土をすべて危険と決めつけるなど同会には一方的な姿勢がうかがえた。行政としては、広告といえども間違った内容を公的放送で許すわけにはいかない(朝日、8月29日(金)」「建設残土を悪いものと位置づけ、フォーラムで特定多数の人を集めるのは(住民への)影響力が大きいし、町政の混乱につなが   るので、公的な放送媒体を使うのは好ましくないと判断した(毎日、8月29日(金)」

(1)の理由によれば、黒い土問題は存在しないのであるから、騒いでもらっては困るというものです。もし騒ぎが大きくなって黒い土の搬入がストップすれば、黒い土=建設残土とみなしている町長(及びその親族会社、関連同業者)にとって残土搬入にともなう利権がなくなるので、それを恐れて過剰反応したのであるということ、これに尽きます。さらに「砂尾天皇」と謀議員に言わせしめるほどの町長の権力をもってすれば、それが出来ると単純に考えたのです。と同時に、こんなフォーラムを開催する人物を町の公式イベントに招待させることはないと、これまた単純に権力でねじ伏せようとしたのです。しかしながら、黒い土問題は、マスコミが勝手に騒いでいる問題でないのは、約、3,900名(有権者の45%)の町民が黒い土搬入に反対署名し、五色町実施のアンケートで約9割の町民が汚染残土搬入に反対したという事実から明白です。よって、この理由づけは事実無根であり、まったく問題となりません。

(2)の理由によれば、町営CATVのオーナーである町当局は、その理由が(一方だけの立場、一方的な姿勢、町政の混乱等々)何であれ、勝手にCATVの番組内容に干渉できるということ、すなわち、行政の公正中立性という大義名分の下でCATVの運営・番組内容にオーナー(町)の見解が「一方的に」反映されて当然というもので、これは恐るべきメディア私物化の論理です。この私物化の論理でもって、「一方的だ、町政が混乱する」と判断すれば、オーナーはいつでも放送番組の内容について干渉できると勘違いして判断したのです。

この町長判断は2重の意味で間違っております。まず第1に、淡路五色ケーブルテレビは私たち町民の税金と加入者の利用料金で運営している公の施設であり、それを正当な理由もなく加入者(町民)が利用するのを差別的に拒否したということが、憲法で保証されている「表現の自由」および「集会の自由」を侵害しているのは明白だからです。この点に尽きましては原告訴状、準備書面ですでに述べたとうりです。第2に、渡辺武達同志社大学教授(メディア論)の意見書(甲第16号証)にもありますように、CATVの運営はあくまでも放送法、有線テレビジョン放送法に準拠すべきもので、そこには(公営、私営にかかわらず)オーナーの見解が反映される余地は全然ないのです。すなわち、公式論的に表現すれば、「CATVの運営=オーナーの見解」ではないのです。従って、今回の広告放送中止に関しては、その中止理由が放送法等関係諸法のいずれに抵触しているのかが、明確に示されなければなりません。しかしながら、被告準備書面には、こうした議論が一切ないのです。そのはずです。渡辺教授の意見書によれば、「本件のCMはその内容・形式ともに、上述の関係諸法・諸規定の条項のいずれにも抵触しないもの」だからです。関西大学総合情報学部の高木教典教授(メディア情報論)が、上述神戸新聞記事(8月28日、添付資料3)でいみじくも指摘しているように、「町政に賛成の広告なら載せてよく、反対ならだめということでは、メディアの私物化といわざるを得ない」のです。さらに一歩この論理を延長すれば、例え町政を混乱させるような反対広告でも、放送法に抵触しない限り、オーナーはその番組内容には干渉できないのです。この放送法は、憲法で保証されている表現の自由に準拠しており、よって今回の広告放送中止は、「表現の自由」(憲法21条)を侵害し、「検閲の禁止」(同条)に違反する違憲行為であることは明白です。

私は教育現場に身を置くものなので、学校運営に関してこの考え方を適応すればこの論理はもっと鮮明になります。すなわち、日本の学校では、公立・私立を問わず、憲法、教育基本法、学校教育法等による運営が義務づけられており、教育現場が混乱するからとか、経営者が気に入らないからといって、学生の入学、教育の機会を差別的に取り扱うことは出来ないのです。そこには、オーナーの見解が反映される余地はないのです。従ってこの件は、被告が私たちの広告放送内容が憲法・放送法に抵触していることを論証出来なければ、それで一件落着です。非常に簡単な論理です。

9.被告準備書面(2)における論理矛盾・事実誤認の指摘

よって、私の陳述はここでストップしてもよいのですが、被告準備書面(2)には明らかな論理矛盾・事実誤認が多々あり、研究者として見逃せないので、あえてそれに反論しておきます。

(a)同準備書面(5,8ページ)によれば、「町が推奨していると思われる表現のもの」は、広告放送しないということなので、逆に表現すれば、広告放送は町が推奨していないものに限るということになります。すでに2で陳述したように、私たち未来フォーラムの企画は町が推奨しているものではないといって、11chでの無料文字放送依頼を町自身が断ったのです。その時点でこの企画は、町推奨のものではないと町が自ら判断したのです。すなわち広告放送可能と判断したのです。しかるに、「町が推奨していると思われる」可能性を否定しきれなかったから、断ったというのは、明らかな論理矛盾、許されない屁理屈で、もしこんな理由で断れるのであれば、町民の企画はすべて推奨の誤解を招く可能性があるという理由で町営のCATVの2つのチャネルからまったく閉め出されてしまうことになります。「心ゆたかなふるさと五色のまちづくり」という目的で設置された私たち町民のCATVで私たち町民が関心を持っており、豊かになりたいと願うことがらについてCATVを使用する機会が一方的に奪われてしまうのです。そんな町のCATVとは、一体誰のものなのでしょうか。これが表現の自由侵害でなければ、一体何なのでしょうか。

もし、町が自らの論理を一貫させるのであれは、たとえ一部の町民から「なぜ町はあんな広告を出したのか」と批判されるようなことがあっても、あれは町が推奨したものではないからと毅然たる態度で広告すべきであったはずです。あえてそれをしなかったのは、あくまでも黒い土問題を権力で押さえ込んでしまおうとする町長のメディア私物化の論理が先行したからにすぎません。

(b)同準備書面(6ページ)によれば、「原告もこの問題に反対の意見を表明していた一人であり、同人のそれまでの活動から、同人がそのような意見を持っていたことを知る人も少なからずいた。本件の広告放送の申込みはこのような状態下でなされたものである」とあります。しかしながら、平成9年8月26日現在の広告放送が中止された時点で、私は建設残土搬入に公然と反対の意見表明をしたことはなく、またこの問題で反対の署名活動を含め公然と反対活動をしたことなどまったくありません。私にそんな余裕がなかったことはすでに1で陳述したとうりです。どこからこうした事実無根の虚偽が出てきたのでしょうか。言いがかりもいいところです。きちんと証明していただきたい。それが出来なければ、公平・中立なフォーラムを企画した研究者を、町長が最初から持ち前の独善、独断で、残土搬入反対派の好ましくない人物だと勝手に被害妄想的に決めつけていたという逆証明となります。

(c)同準備書面(7ページ)によれば、「町長としては、五色町がいずれか一方の立場に立っているという印象を持たれることを避け、行攻の中立性並びに町政の安定を図るために、本件広告放送の中止を決定した。町長としては、建設残土搬入の問題は、関係者の論議を経て解決すべき問題であると考えていたものである」となっています。行政が中立的で、黒い土問題を公平に処理するという考え方は立派です。では、この問題を関係者で論議して解決する場合の関係者とは、一体誰を指すのでしょうか。町長、地権者および残土搬入業者だけでないことは明白です。なぜならば残土搬入にともない町民の飲料水である地下水が汚染される可能性がある五色町では、全町民およびその未来世代までを含めた全員が関係者となるはずです。そうした意味での関係者全員でこの問題を論議しようと企画したのが未来フォーラムの主旨だったのですから、その論議の場を自ら否定したということは、自己矛盾に他なりません。あえてそうしたのは、町長、地権者および残土搬入業者だけで論議し、漁夫の利を得ようとする意図があったからではないのでしょうか。

(d)同準備書面(6ページ)によれば、「国や兵庫県からも、資源の有効利用を図るため建設残土の利用を進めるべきであるとの指示がなされていた」とあります。こうした国や県の指導があったので、あえて土壌環境基準を数十倍もうわまわる産廃まがいの残土の搬入を合法化する条例を制定したということなのでしょうか。国や県は、環境基本法で定められた土壌環境基準を越える残土でも積極的に有効利用するように五色町に指導していたのでしょうか。もしそうであれば、その証拠を見せていただきたい。もし出来ないのであれば、自らの利権のために都合のいいように国や県の指導を曲解したことになり、これは国や県を冒涜したことに他なりません。

(e)同準備書面(9ページ)によれば、「原告は、ホームステイ先を断られたことをも間題とするようであるが、これは本件と全く開連性がないものである」と主張していますが、これらはメディア、町政の私物化といった町長の独裁的政治姿勢の誤りから引き起こされた事件であるという点で両者には密接な関連があるのは明白であり、すでに原告訴状九でも述べたように、ホームステイ拒否によって、私たち家族が蒙った精神的苦痛は多大であり、損害賠償額はこれら被害も含んでいるのです。

10.物言えば唇寒し五色町:広告放送中止にともなう被害

 最後に広告放送中止によって私たち未来フォーラム、および町民が被った被害について陳述します。未来フォーラム結成の時点から、私たちはなんの根拠もなく反町長派のグループであると勝手に見なされ、広告放送中止に際して、「建設残土をすべて危険と決めつけるなど同会には一方的な姿勢がうかがえた(朝日、8月29日)」と一方的に悪意に満ちて決めつけられてしまいました。その結果、未来フォーラムには是非出席したかったのだが、出席すると反町長派と見なされ差別されかねないので欠席しましたといった呼びかけ人が多数いたことは、すでに5で述べましたが、それ以外にも、未来フォーラムの呼びかけ人になっているのがわかると、町から差別的待遇を受けるので絶対に秘密にしていてほしいという呼びかけ人からの要望が相次ぎ、未だに呼びかけ人の間ですら誰が呼びかけ人なのかお互いに知らないといった変則的な状態が続いております。また私自身に関しても、町関連の仕事をしている親戚から「おまえは誰かに騙されているだけだ。早くこんな運動をやめてしまえ。そうしないと私たちはこの町におれなくなる。おまえがやめないのなら、私たちのほうからこの町を出てゆく」と、強迫されました。私にとっては、まさに信じられないような恐慌政治が五色町で進行していたのです。私はそうした状況を、8月31日の未来フォーラムの会場で配布したアンケート結果の最後のページで「物言えば唇寒し五色町まち」という川柳で表現しました。

11.広告放送中止後も続く表現の自由侵害

以上で今回の広告放送中止に関する陳述とさせていただきますが、その後も私たち未来フォーラムに対する組織的嫌がらせ、表現の自由侵害が相次いでおります。本件とも関連しておりますので、是非ともこうした事実もお知りおきいただきたく、ここにもうしばらく陳述を続行させていただきたいと存じます。

(a)本件神戸地裁洲本支部に提訴(平成9年11月4日)の後、フォーラム呼びかけ人の皆さんへの近況報告会を平成9年12月7日(日)午後7時30分から鮎原公民館で開催しました。上木議員の平成10年3月定例会一般質問の言葉を借りれば、なんと「勉強会の次の日、その会に何人集まったか、その顔ぶれは、話の内容は、と行政の幹部が調べているわけです(112ページ)。」 私たち未来フォーラムの活動が、町によって組織的に監視されていることがこれで判明したのです。これは、集会、結社、表現の自由といった憲法の基本理念に反する、行政の裁量権を逸脱した違憲行為です。何故、未来フォーラムはこんな行政の監視を受け続けなければならないのでしょうか。

(b)さらに、上記近況報告会開催のお知らせを、フォーラム呼びかけ人の皆さんに郵送したのですが、なんとそのコピーが、町当局によって密かにコピーされたらしく、私たちのお知らせが土砂条例第7条の五色町の「土壌安全基準」に関して町民に誤解を与えているといって、山口正友生活環境課長から、「誤解を与えないようにしていただきますようにご通告申し上げます」といった内容の通告文(平成9年12月1日付け)がそのコピーと一緒に私宛に送り届けられてきました。12月5日(金)のドイツ・ハノーバー万博協会への招待出張からの帰国直後、私はこの通告文を見て驚愕し、12月8日(月)の朝に早速同課長に電話で問い合わせました。「行政の1課長が他人宛の手紙を勝手にコピーしその内容に対して、公権力で通告してくるなんて前代未聞だ。あなたご自身の判断でされたのか」と問いただしたところ、「実は町長と協議の上、通告文を出した」との回答を得ました。なぜ私たちNGOの自由な活動に公権力が介入してくるのか、私は背筋が寒くなる思いでした。

平成10年2月26日付けで、砂尾町長宛に出した黒い土残土条例に関する公開質問状(カーボンコピー(CC)として、県知事にも送付)の冒頭で私は次のように町長の謝罪を求めました。

「私たちフォーラムのメンバー間で出しているニューズレターを、町が無断でコピーし、公的・中立的であるべき行政機関がその内容に対して町民の発言を一方的に封じ込めさせようとするやり方は、明らかに憲法で保証された表現の自由を公権力で抑圧しょうとするものであり、怒りに耐えません。現在、私たちは貴殿が恣意的に中止した五色町CATVの「黒い土」問題を考える広告放送が表現の自由の侵害にあたるとして、神戸地裁に提訴しております。いったい貴殿はどこまで私たち町民の表現の自由を封じ込めるおつもりなのですか。
ここに今回の件に対して謝罪を求めると同時に、今後このような抑圧的行政を繰り返さないという確約を強く求めます。」

私たちのこの謝罪要求は未だに無視されたままです。

(c)私たちは、第2回五色・淡路未来フォーラムを平成10年3月15日に町民センターで開催しました。今回もこの開催案内を5,000円を支払って情報センターに申し込んだのですが、私たちの依頼したプログラムの内容が、私たち依頼主に事前に何の相談もせずに検閲、削除され、「これは町長の決裁だ」といって一方的に内容修正されたままで放送されました。私たちは、ここにいたって開いた口が塞がりませんでした。私たちは町長によるCATVの私物化がいっこうに改められていないということに、改めて表現の自由が侵害されたという苦痛で一杯です。

12.結語

いつまでこんな恐慌政治、メディア・町政の私物化が五色町で続くのでしょうか。一般町民はもとより、未来フォーラムの呼びかけ人ですら、広告放送中止事件を見せしめととらえ、町長からの差別を恐れてますます口を閉ざしつつあります。広告放送中止事件によって私たち町民が被った精神的苦痛・抑圧感、民主主義の代価を損害金額で評価するにはあまりにも大きすぎます。さらにこのことによって、五色町の大地、水が汚染され続ければ、将来世代にわたるであろうその損害総額はとれも計り知ることが出来ません。事実この危険性はすでに現実化しており、「土壌安全基準」の新条例に基づく最初の建設残土の搬入が、五色町都志米山地区の圃場整備現場で平成10年5月6日からすでに開始されており、私たち町民は「土壌環境基準」を越える汚染残土、黒い土を法的に規制することがまったく出来ない無力状態におかれております。平成10年6月12日午前10時から開催された五色町議員全員が参加する総合開発調査特別委員会(今回から一般傍聴可能)に於いて、町長は同委員長の委員会出席要請を拒み、自らが許可した米山地区残土搬入の経過を町民に説明する義務を放棄しました。黒い土問題が、何の差別の恐れもなく五色町で自由に議論できる環境を、貴裁判所の良識で一日も早く実現していただけることを念願して、私の陳述を終わらせていただきます。


 平成10年6月15日 

  
 山 口 薫