以下は平成11年6月2日に被控訴人が大阪高等裁判所に提出した、控訴理由書に対する反論の準備書面(三)です。控訴人 代理人からいただいたコピーをOCR作成したものですので、 乱丁があるかもわかりませんので、そのつもりでご参照ください。




平成十一年(ネ)第三六二号 損害賠償等請求控訴事件

           控訴人 山 口 薫
           被控訴人 五色町

   平成十一年九月八日
        被控訴人訟代理人
         弁護士 道上 明
         弁護士 伊藤 信二


大阪高等裁判所 第一民事部一係 御中

準備書面(三)



一「五色町未来フォーラム開催時の状況」に対する反論


1 控訴人は、第{五色淡路未来フォーラムが混乱なく行われたことから、五色町内に推進派、反対派の対立状況がなかったことを主張しようとしているが、このような推認は成リ立ちえないというぺきである。建設残土搬入問題について町内に意見の対立があったことと、フォーラムが普通に実施されたこととは、何ら矛盾する関係にないからである。町長は主催者側から、五色町の取組みについて説明して欲しいとの要請を受けたため、職務の一環として中立的な立場で出席したものであり、推進もしくは反対といった一方の立場で発言したもので.はない。また、推進派の人たちも、主催者や町長がどのような発言をするかに関心をもって出席したものであり(乙一九の八頁)、当然のことながらフォーラムの混乱を狙って出席したものではない。
 むしろ、フォーラムが混乱なく行われたのは、出席者のほとんどが反対派の住民であったからにすぎない。控訴人は、フォーラムの参加者の間には萎縮した雰囲気が存したと述べているが、このことは、参加者の多くは反対派てあり、フォーラムが中立な立場で主催されたものでなかったことを裏付けるものである。
 
2 そもそも、建設残土搬入問題についての反対派の中には、他の公害環境問題においても間々みられるように、交通公害や環境問題に敏感な人や政治的な野心をもっている人が少なからず含まれており、この問題について強く反対の意向をアピiルしていた。それがまとまった形として表れたのが、鳥飼地区を中心とする三六七七名の反対派の署名活動や、平成九年七月二七日の極楽寺での反対集会、都志大浜町内合での反対会合、同年八月一四日の黒い土間題に関するアンケート、さらには同年八月三一日の第一回五色淡路未来フォーラムであった。
 他方、推進派は、建設残土搬入について法的にも勉強を積み重ねていたため、自分たちの考えの正当性を周囲にアピールすることはなかったが、反対派が十分な法的理由なく反対活動を行っていたことに忍耐を強いられ、相当感情的にもなっていた。このことは、推進派住民と直接対した町長でないと分からないことであろうが、町長は鮎原吉田地区から、二度にわたり「建設残土搬入を止めてはならない。止めれば損害賠償を求める」旨の陳情を町長室で直接受けていた。また、米山地区でも同じような状況てあり、フォーラム開催前に何度も陳情や抗議を受けていた。
 建設残土の搬入は法的に認められていたものであリ、町長としても推進派の立場を否定することはできない立場にあつた。しかし、そうだからといって反対派の動きがなくなる訳でないばかりか、その動きはフォーラムに向けて大きくなっていったことから、町長は町内の大きな混乱を未然に防ぐため、本件広告放送の中止を決定したものである。


二「推進派の実像」についての反論


1 控訴人は、建設残土搬入を推進してきたのは専ら残土搬入業者であり、一般の町民が積極的に推進したことはないと主張するが、これこそが事実を見誤っているものである。控訴人は、前述した鮎原吉田地区及び米山地区などの住民から町長に直接なされた陳情や抗議をどのように説明するのであろうか。右各地区においても、一般の町民(非農業従事者)が建設残土搬入間題に積極的でないのは、関心がないからであって当然のことである。これに対し、農業関係者は、ほ場整備事業を実現するため、建設残土の搬入に積極的に取
り組んできていた。このような農業関係者を中心とするほ場整備事業の関係者が、まさしく「推進派の実像」である。
 また、控訴人は、反対派による前記の諸活動(三六七七名の反対署名、極楽寺での反対集会、都志大浜町内合での反対会合、黒い土問題に関するアンケート、第一回五色淡路未来フォーラムなど)は、一体何のためなされていたというのであろうか。これらの活動が自分たちと立場を異にする人たちに対向するための活動であったことは明らかである。そして、その立場を異にする人たちというのは、右に述べたように、建設残土搬入を進めていた奥の内、米山、吉田、鮎原上東山、広石などの農家を中心とする住民である。

2 控訴人は、米山地区などでは、ほ場整備事業を行ったとしても美田にはならない等とした上、住民が率先してほ場整備事業を行おうとしたことはなく、住民はむしろ消極的であったと主張する。しかし、これは単なる憶測であり、しかも間違った憶測である。
 米山地区などの山間地域では農作業を行うのがきつく、しかも農業生産の効率も良くなかったため、農業に従事する住民は従来からほ場整備事業がなされることを強く希望していた。建設残土搬入の話がもちあがる前の昭和六二、三年頃にも、ゴルフ場から出る土を使ってほ場整備を進めることを自分たちで検討していたくらいである(乙一九の一頁〜二夏)。また、建設残土を利用して行うほ場整備事業は、谷地になっている部分を大量の土で埋め、これによって広い平らな土地を造成するものであるため、もともと谷地であった所も平坦で作業効率の良い耕作地に生まれ変わることができる。控訴人が述べるように、ほ場整備事業によっても良い田にならないというのは、ほ場整備事業についての理解不足か誤解でしかない。しかも、建設残土を利用すれば、ほ場整備が低廉な費用で実現できるというのであるから、山間地域の農家がこれを切望しないはずはない。前記のとおり、奥の内、米山、吉田、鮎原上東山、広石などの農家を中心とする住民は、このような事情から建設残土を利用したほ場整備事業を積極的に推進してきたものである。
 
3 控訴人は、推進派なるものが存在するとすれば、残土搬入業者のことを指すものであると主張する。被控訴人としても、業者が残土搬入に積極的であったことを否定するものではないが、五色町の住民でない業者を問題にすることは意味がない。「推進派の実像」が山間地域の農業関係者を中心とするほ場整備事業の関係者であったことは前記のとおりである。
 また、控訴人は、ダイニチ工業によるほ場整備事業の下請受注にふれている。これは本件と関連のない事柄であると考えるので、一点だけ反論するにとどめるが、建設残土搬入は当然ながら町長一人の考えで実施しようとしたものではない。これは国(建設省)や兵庫県(農林水産部)からも推進策が勧められていたものである(乙三、四)。