以下の記事は、「放送レポート」150号(1998年1月、メディア総合研究所、26〜30ページ)に掲載されたものですが、著者の渡辺先生から直接
e-mail でお送りいただいたものをベースとして編集したもので、その内容に多少の差違があるかもわかりません。今回の五色町表現の自由侵害事件の真相・本質を理解するのに非常に貴重な文献ですので、(かつこの「放送レポート」は地方の書店では入手困難ですので、)同先生の許可を得て、掲載させていただくことにしました。なお、落丁、乱丁の責任はすべてこのむらトピア未来研究室にあります。
淡路五色ケーブルテレビの CM打ち切り問題を |
問う |
同志社大学教授 渡辺武達
1997年11月4日、兵庫県津名郡五色町鮎原南谷(淡路島)在住の山口薫氏(五色・淡路未来フォーラム代表)は、「淡路五色ケーブルテレビ」を創設・経営する五色町とその代表者である町長・砂尾治氏を相手取り、基準値を超えるヒ素をふくむ建設残土の搬入問題を討議する住民フォーラムの開催告知をするCM(下記)を、規定にしたがった料金を受け取り、いったん実際の放映をしながら途中でうち切ったことが表現の自由の侵害にあたるとして、神戸地裁洲本支部へ(1)慰謝料百万円と(2)原告が指定する謝罪広告放送を求める損害賠償請求訴訟を起こした。
この事件は兵庫県の一地方の、会員数4千たらずの有線テレビ放送網におけるできごととはいえ、その内包する問題は、現代メディアの置かれた状況と、今後のメディアと社会との関係枠における決定的要素をはらんでいる。法的にはそれは言論と表現の自由および、思想・信条の違いに基づいて行政が行った人権侵害問題である。またメディアの発展プロセスとしては喧伝される多チャンネル化と情報ネットワーク化の現場で生起しているマイナス面であり、今後増大するCATVの公共性と公益性、ならびにそこでやり取りされる情報コンテンツに深いかかわりをもっているからである。
〜うち切られた告知CMの内容〜
記 第一回五色・淡路未来フォーラム |
この五色町営有線テレビ局は竹下登内閣時代の標語「ふるさと創生」のかけ声とともに全国の自治体に配られた金一億円の使い道の議論がきっかけとなって創設された。自治体のなかには住民にたいしその一億円を現金にしてそのまま、あるいは金塊に換えて展示したり、淡路のとなりの四国では特産が鰹節であるところから金のカツオを鋳造したりのばかばかしい使い方をしたところがある。名目をなんとつけようとこのふるさと基金の発想とその配り方そのものが田中角栄元首相ゆずりの金権体質の象徴的なものだ。
が、五色町(民)がそれを情報化時代の先取りとして、自治省によるテレビ・電話・在宅医療支援のリーディング・プロジェクト事業としての認可を受け(1991年11月)、全町有線テレビ網開設の起債の呼び水にしたことはほめられてよいことだ。ちなみにこの局の有線テレビ放送施設としての認可は92年10月14日、有線放送電話業務の認可は翌93年12月8日で、運用開始(開局)は94年4月1日であ
る。
この町営局への加入には最初に4万円の支払い、その後月々1,500円の使用料という条件にもかかわらず、加入者総数は97年9月1日現在で3,184戸。それは町内全戸数の96パーセントにあたる。NHKの受信料支払い率がおよそ75パーセントだから、五色町に関するかぎりその加盟率はNHKを凌駕している。このことからもその影響力と同時に町民の「オラが町の放送局」への肩入れがうかがい知れる。
さらに、この町営局には町独自の番組のほかに、WOWOW・スターチャンネル・スカイA・日経サテライト・朝日ニュースターなどのペイテレビシステムへのアクセスの提供がある。くわえて、在宅保健医療福祉支援システム、緊急通報システム、災害対応総合情報ネットワークシステムへの備えなどもあるから、設置目的にのべられているように、その事業は「長寿社会を支える若者定着と人づくり、テレビの難視聴解消対策と産業・保健・医療・福祉総合ネットワークシステムを加味した、全町CATV網」なのである。
さて今回の事件の事実経過としては、「建設残土を巡る問題で、山口さんらが中心となり、専門家や町長、議員を交えた住民フォーラムを企画、8月26日から30日までの契約」(11月5日神戸新聞朝刊などの表現)で、当該CMの放映を「申し込んだところ、被告がこれを了承したので、即日原告は広告料5千円を払い込んだ。そして、同月26日午後5時頃には一旦右集会開催お知らせの広告放送をしながら、被告は同日午後6時頃になって突然一方的に原告にたいし右テレビによる広告放送を停止する旨の通知をし、その後の広告放送はなされなかった」(原告の訴状より)。
ところで、残土処理をめぐってこの提訴事件が起こった背景には、阪神・淡路大震災による被害の復興過程における建設現場からの排出物の捨て場所が、土地の安さと輸送コストからいって近隣の淡路島が最適地として利用されているということがある。いまどきたいていの自治体では、原子力発電所や建設残土のような、長い目でみておそらくは住民のためにならないプロジェクトを引き受けるところなどない。それを住民の合意と科学的な安全確をしたうえで引き受けているのだとすれば、完全な「他者への奉仕」であり見上げたものだ。しかもこの五色町の場合、「同町下堺の粘土採取跡地で、西淡町の建設業者が建設残土を搬入。県の土壌汚染調査の結果、国基準値を1.7倍上回る検液1リットルにつき○・○○17ミリグラムのヒ素が検出された」(読売新聞97年5月30日付け)事実があるように、残土からは基準値を超えるヒ素が検出されている(土壌汚染)のにプロジェクトを強行し、その責任者である町長そのひとが土建関係者であるということはなんとも胡散臭いとしか言いようがないではないか。
またこの事件に関連して、この町長のいい加減さ・あるいは独裁者的性格はつぎのことにもよく表れている。「当時被告五色町主催でロシア共和国ハバロフスクの少年少女民族舞踏団”ラーダスチ”の公演が行われるに際して被告の要請により原告がホームステイを引き受けていたのであるが、右放送中止を原告に通知した直後被告は一方的に正当な理由もなく原告方でのホームステイを断って原告の被告町公式イベント参加を拒否するなど、被告町政治発展に原告が反対しているかの如き印象を表明して原告に対する村八分的扱いもしている」(原告訴状より)。この被告の行動はは社会的契約と信
頼の原則への背反であると同時に、ロシアからの子どもの来宅を待ちわびていた原告の子どもの心をいたく傷つけたわけで、そういうことに想いの及ばない町長は政治家云々のまえに「人間失格」であろう。
この事件が五色町(長)による不当かつ違法な行為によって発生したことは以上の経過からも容易に推定できる。が、本稿では後日の資料にもなるよう、(1)広告文の意味論、(2)その放映にかかわる関係法令、という二つの側面からさらに厳密に検討しておこう。
まずCMの文面だが、「記」を入れても、全文は六行。普通のひとがふつうに読めば、それはどこにでもある単純な行事のお知らせにすぎない。もし仮に何らかの価値観や意図があるとすれば、「第一回五色・淡路未来フォーラム」と「テーマ 黒い土と汚染問題を考える」の部分であろう。前者ではこのフォーラムが第一回と題されていることから、そこでの討議の内容に不都合を感じるものからすれば、連続フォーラムはかなわないだろう。しかし、町と町民に大きなかかわりのある問題があり、町民によるその討議が五色町(民)の福利・厚生と民生の向上に役立つものであれば、町営テレビにとって自主番組として企画さえしてもよいものだ。後者のテーマ「黒い土と汚染問題を考える」は、実際に搬入されている土が黒く、前述のように県の調査でも安全基準値以上のヒ素が検出されているのだから「汚染」である。そしてその残土搬入が大量であれば搬入行為そのものが公害を引き起こす。しかもこの搬入問題を報じる地元各紙(神戸・朝日・毎日・読売など)もこの件を「黒い土問題」と表現しているから、CMの文言が「偏った政治的意図に基づくもの」とはいえないし、虚偽でもことさらの誇張でもない。
よってそれらのいずれもが放送法上の「公平」条項を侵してはいない。
つまりこのフォーラムの広告文が意図的に誤解を視聴者にもたせようとしても、広告部はそのような設計の設定をしていない。そういう意図は本文のどの部分の分析からも出てこない。くわえて、このフォーラムには
(1) 町長自らと議員四名が出席していること、(2)町民センターという公共の場の利用が許可されていること等を考えると、同じく公共の施設であるCATVだけを利用不許可にしたことには行政上の自己矛盾があるといえよう。
つぎにこの町営テレビ局はどのような基準で放送番組を編成しているのかをみてみよう。
この局は「淡路五色ケーブルテレビ放送番組基準」というものを制定し、それを基準に運営している(ことになっている)。その総則6項には放送するものとして「節度を守り、真実を伝える広告」とCMについてふれている。それは本件をたとえ政治的事象とみても次のようにものべる。「政治上の諸問題は、公正に取り扱う」(同第4章第1項)、「意見が対立している公共の問題については、できるだけ多くの視点から論点を明らかにし、公平に取り扱う」(同第4章第3項)とある。
ここまでの条項でいえば、今度のフォーラムのCMは先の意味論でも明らかなように、事実としての「黒い土と汚染問題」についてみんなで考えようというものだから、たとえ意見が対立することがあっても話し合おうというもので、「多くの視点から論点を明らかにすること」になり、むしろ好ましいことだ。
また「現在、裁判にかかっている事件については、正しい法的措置を妨げるような取り扱いはしない」(同第四章第四項)ともあるが、フォーラムの時点ではこの件およびその関連事項は裁判の場に持ち込まれてはいない。さらに「営業広告及び売名的宣伝のおそれがある放送は、公共性から勘案し、慎重に取り扱う」(同第九章第一項)とあるが、CMには掲載者責任が明白でなければならないことは一般放送の規定にもあるから、問い合わせ先として原告の山口氏の名前と電話番号(本稿では原告のプライバシー保護のため削除)があるがこの条項に抵触するものではない。しかもその直後に「多数の視聴者(住民)にとって利益となる情報については、売名的宣伝とならないように十分注意して積極的に放送する」(同第9章第2項)とあるのだからむしろ、CM料金などとらなくても町営テレビは積極的にこのフォーラムの開催を町民に広報すべき性質のものなのだ。
ただし、この基準にはその最後に「この放送番組基準によるもののほか、必要な事項は、町長が別に定める」とあるが、この「町長権限」は上記の法精神で実務を遂行し、この条項にには具体的に記述されていない新たな事象が生起したときには社会常識と町発展の方向で判断し、問題処理をするというのが妥当な法解釈である。
この有線テレビ局は右記放送基準のほかに、広告については「五色町情報センター広告放送取扱要項」(平成7年5月1日施行)を定めている。それは「基本的には、次の各号に該当する場合は放送をしない」とし、「1 政治活動及び宗教活動に関係するもの、6 社会問題等についての意見広告、14 広告の意図及び内容が不明確なもの」などとつづくが、それらのいずれも今度のフォーラムのようなお知らせを「放送しない」もののなかには入れていない。問題は砂尾町長が原告の山口氏に後で文書通知したとき、当該CM放映中止の理由とした、この部分の最後にある「15 その他放送することが
不適当と町長が認めるもの」という規定である。さらにこの広告取り扱い要項の第十条には「この要項に定めるもののほか必要な事項は町長が別に定める」ともある。しかし第十五項もこの最終条項も、前述したようにそれらの事項は総則・法規の制定目的条項の精神、ならびにそれらの上位法にしたがって解釈されるものであって、町長が恣意的に解釈し、公営放送を私物化し運用することを認めているものではない。
そのことは五色町営有線テレビの事業認可をおろしている有線テレビジョン放送法(昭和47年7月1日、法律114号)の規定に明らかである。それは第1章総則で法の目的を「有線テレビジョン放送の受信者の利益を保護するとともに、有線テレビジョン放送の健全な発達をはかり、もって公共の福祉の増進に資すること」とし、有線放送テレビジョンについては「公衆によって直接受信されることを目的とする、有線ラジオ放送以外の有線テレビのこと」と定義(同第2条)、「事業の開始にあたっては郵政大臣からの許可を受けること」(同第3条)との義務づけをしている。同第17条では「番組の編集等」を定め、「放送法第三条の規定は、有線テレビジョン放送の放送番組の編集について準用する」とし、日本で唯一の言論立法である放送法の番組内容規定を踏襲するとのべているわけだ。
広告もまた法的には放送番組の一部であるから、上述の番組の編集基準を遵守することになるのは当然である。つまり、放送法3条の2の(1)にいう「政治的に公平であること」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が適用されるわけで、このフォーラムの告知行為はもちろんそれらの規定に抵触しない。同法にいう「公安や善良な風俗」も侵していない。このように本件のCMとその内容は以上の諸法のいずれをもクリアーしている。よって今度の五色町(長)の行為は原告の「表現の自由」(憲法21条)を侵し、「検閲の禁止」(同条)に違
反するものである。さらには同時期にその他のCMが許可、放映されているにもかかわらず、原告のCMのみがいったん放映料も受け取りながら中止されたことは、町(長)が原告を差別的にあつかったことになる。よって本件におけるCMの放映中止は憲法21条および、「すべて国民は法の下に平等であり信条等によって差別されない」という憲法14条の規定に明白に違反(とくにホームステイ先を断ったことはこれに違反)する行為だといえることになる。
97年10月14日、最高裁は、四国・高松の自然食品販売会社ちろりん村が瀬戸内海放送を相手に、「原発バイバイ」というコピーをふくむ、野菜や豆腐などの自社取り扱い商品のテレビCMの放映継続をもとめていた事件を却下した。1990年7月の地裁への仮処分申請以来のたたかいへの、行政権力べったりの判決だが、この事件は今度の五色町営テレビのケースとその問題点と構造において酷似しており紹介しておきたい。
ちろりん村は1988年以来瀬戸内海放送でスポットコマーシャルを打ってきた。くだんのCMが問題になる前にも数回、時節にあわせてCM内容を変更してきている。この「原発バイバイ」というコピー(広告文)をふくむCMの場合でも新しく内容が変更された90年6月にいったん二度放映されながら、後でどこかの抗議(電力関係事業者?)があり、その部分が放送法でいう「政治的公平」条項に違反しているという屁理屈をつけ、局内考査会議という形式をととのえ、打ち切られたわけである。
この件で私じしんは原告側にたったつぎのような意見書を高松地方裁判所にだした。そこでの主張は(1)「原発バイバイ」のコピーは全体のCM画面のほんの一部でその他の画面は食品販売だし、当該部分にしても自然食品のプラス・イメージづくりそのもので、マーケティングの論理にそったものだし、内容的に禁止すべきものではけっしてない。(2)日々、全国の電力会社や資源エネルギー庁、科学技術庁などが原発推進のCMや文書をばらまいているとき、ちろりん村のこの程度のコピーが放送法違反というのはいちじるしく公平を欠き、法の下での平等を保障する憲法違反であると同時に、意見の
多様性をもとめる放送法の違反、そしてなによりも(3)原発の推進が民衆の利益に反するというものである。
電力業界・政府・巨大メディアは総計五百億円を超えるエネルギー関連の広告
費によって結びつき、それら三者はタッグを組んで民衆にあるがままの社会的事実を知らせない。そこにはえげつないほどの情報操作の構造があるわけだ。
たとえば、政府の依頼で(1991年)日本原子力文化振興財団が作成した答申「原子力PA(Public Acceptanceの略で民衆による受容のことーー筆者)作戦」(作成委員長は読売新聞の論説委員)には、「女性(主婦)層には、訴求点を絞り、信頼ある学者や文化人等が連呼方式で訴える方式をとる」「文部省に働きかけて原子力を含むエネルギー情報を教科書に入れてもらう」などとあり、「原発バイバイ」放映中止と控訴棄却はその悪徳行為の一環にすぎないことがわかる(この「原発バイバイ」CM事件の詳細は本誌94年7月号または拙著『メディア・トリックの社会学』世界思想社刊を参照されたい)。
今度の五色町のCM中止は、五色町が小さな町で、しかも町長があまりにも単純で利権体質丸出しだから、訴状を提出された神戸地裁洲本支所もよもや原告敗訴の判決を出すことはあるまい。しかし、日本の権力層はいざとなれば政財官が一体となって司法を巻き込み、民衆の利益を押しつぶす歴史を積み重ねてきたから油断はできない。なぜなら、明らかに地域公益事業の電力会社が反民益の原子力発電をおこない、そのCMを出しているのに、食品会社が「原発バイバイ」と控えめにいい、その中止の不当性を、仮
処分・地裁・高裁・最高裁に訴えてもことごとくしりぞけ、最後はその主文に「本件上告を棄却する。上告費用は上告人の負担とする」のたったの二行を記したからである。
この最高裁判決の中味の判決理由もまさに木で鼻をくくったようで、(1)被上告人である瀬戸内海放送は適切な局内審議のうえで打ち切っており、そこに違法性はない。(2)放映継続の仮処分の却下、地裁・高裁での審理と判決は適切で違法性はない。(3)上告人は原審内容を正確に理解していない。(4)民事訴訟法上も原審に問題はない。「よって最高裁は裁判官全員一致の意見(違憲のほうが正しい?−−筆者)により
主文のとおり判決する」とある。
それだけに、五色町営有線テレビのこのケースに「原発バイバイ」とおなじ判決を出させないよう注目していきたい。
(1997年11月19日記)