以下は平成11年9月8日午後2時30分から、大阪高等裁判所で行われた斎藤前五色町長による証人尋問の内容です。控訴人代理人からいただいた証人調書のコピーをOCR作成したものです。乱丁があるかもわかりませんので、そのつもりでご参照ください。



速記録 (平成十一年九月八日 第三回口頭弁論)
事件番号 平成十一年(ネ)第三六二号


証人氏名 斎藤 貢


控訴人代理人(辰巳)
甲第一九号証を示す
この陳述書の後ろにあります署名捺印は、斎藤証人がなさったものですか。

はい。

ここに記載されている内容は、そのとおりで間違いございませんか。

はい。私が作ったものですから、間違いございません。

ここに経歴とかが書かれているんですけれども、出身が五色町で、現在も五色町に在住されているということでよろしいですか。

はい。一度も住所移動したことはございません。

経歴についても陳述書にあるんですが、現砂尾町長の前の町長であったということでよろしいんですね。

はい、そうです。   

町長の仕事というのは、四期目の任期満了で引退なさったと、そういうことでよろしいですか。

はい。そうでございます。  

四期目の任期満了後、砂尾町長、現町長とほかの対立候補との間で選挙になったんですが、砂尾町長の対立候補を、自分の後継者だということで指名をしたことがありましたか。

ありません。特に、私の持論として、町長が後継者を指名するということは信念に反すると、地方自治に反すると思っております。ですから、記者発表でもそういうことを申し上げ、新聞の記事になっております。住民が選ぶ選挙であります。  

今回問題となっているケーブルテレビなんですが、このケーブルテレビを設置しようという動きは、斎藤町長が在任中に始まったものですか。

はい。竹下内閣の一億円ふるさと創世事業というのがありましたが、その一億円ふるさと創世事業の計画審議会の中で、若い人たちを中心にして、役職を抜いた住民の皆さん方に審議をしていただきました。その中で、高齢化社会対策、情報化対策、そして国際化対策の三本の柱で事業を組立てていくということの答申をいただきました。その中で、情報化対策としてのケーブルテレビジョンを設置することの研究に入ったわけであります。  

もう少し簡単にお答えいただいて結構なんですけれども、ケーブルテレビ設置の目的の中で、五色町の町政、情報について住民に広く知ってもらいたいと、そういう要請にこたえるための目的というのはありましたか。

あります。   

それから、逆に、住民の声を五色町政に反映させていこうと、そういう目的で設置したという趣旨はございましたか。

あります。   

斎藤さんが町長時代に、そのような考えを、審議会で表明したことはありましたか。

ありました。  

どのようなことをおっしゃいましたか。

特に、情報化対策というのは、五色町は過疎町でありますので、若者定住が最大の行政課題であります。そして、若者定住こそが、高齢化社会を支える対策になると思います。そのためには、過疎地と言えども、あらゆる情報が都会並に享受できると、そういうことがまず前提となるであろうと。そして、この情報システムが、これからの高齢化社会を支える福祉にも、あるいは在宅医寮にも、あらゆる面で、これを駆使できると。そして今までありました有線放送電話、あるいは有線放送テレビの機能も合わせて持ったものにしていきたいと。それを一つ検討してほしいということを申し上げたことがございます。  

そのようなテレビの中では、五色町営テレビになるんですけれども、町の行政に対する意見というものは、反映されることが予定されていたんでしょうか。

最初から、開設のときの御挨拶にも、あるいは番組放送審議会が設置されたときにも、冒頭に私は特にそれをお願いいたしました。このテレビを通じて、住民の町に対するいろいろな要望、ときには町政批判もできるような放送内容にしていただきたいと。そのときにも、本会議の放送も是非ともこの中に入れていくような番組編成にしてほしいと。それが五色町のいろんな議論が出て、ケーブルテレビを通じて活性化につながっていくと。そういうことを、度々職員にも申し上げたわけであります。  

その審議会には、砂尾現町長も参加されていたんですか。

番組編成審議会でなしに、町作り審議会の計画段階のときには、砂尾町長も議員の中から選ばれて、その審議に加わっておりましたです。  

斎藤さんが町長だった時代に、今回問題となった有料広告放送というのはまだなかったんですね。

有料広告放送を、その当時は、私はするつむりもないし、あるいは番組編成会議の中でも、その問題はまだ十分な機能を有してないために、問題としては挙がってはおりませんでした。   

誘導します。この当時は、無料放送である自主放送としては、二つのチャンネルがあったわけですね。

はい、そうです。一つは、自主番組。これでいろんな声を映像として流していたんです。一つは、文字放送チャンネル。これはお知らせのチャンネルでありまして、各種団体のお知らせ、あるいは会議のお知らせ、あるいはまた、それぞれの町民の皆さん方の出生のお祝い、あるいは死亡のお知らせ。そして、それらをすべて、二四時間の文字放送で繰り返し繰り返し流しております。このニチャンネルでもって自主放送いたしております。   

無料文字放送チャンネルでは、町が主催してない、町が企画してない行事についての案内も流れるんですか。

はい。現在も流れております。   

例えば、斎藤さんが町長をお辞めになった後、私的な立場で無料文字放送を利用されたことはありますか。

ございます。

どのようなときですか。

私がボランティア団体として、昭和二六年に文化勲章を受賞された三島トクヒチという博士がおります。五色町の、私の母校の出身の方でありますが、この方の顕彰会を組織いたしまして、会長になっております。それで子育て支援事業であるとか、若者のいろんな勉強会の支援、人材育成事業に取り組んでおりますが、そうした行事の文字放送、あるいは講演会の文字放送、そうしたものを流していただいております。   

講演会では、例えば、どのような人を呼んだんでしょうか。

一番最近では、心理学の医者でございます、今書物でブームになっております往々木マサミ先生、育てたように子は育つという、二時間の講演会を企画し、保育所のお母さん方、小学.校のお母さん方百数十名に集まっていただいて、行いました。子育て支援事業の一環でございます。その前には、昨年、元の出雲市長の岩国テツンド、現在の代議士でございますが、その方に来ていただいて、町作りの講演会をしていただきました。すべて三島博士顕彰金主催であります。   

無料文字放送チャンネルの放送内容なんですけれども、町長がその内容を確認して決裁をするということはあるんですか。

私は、放送を開始してから、退職まで、そうした決裁をしたことは一切ございません。   

その決定権というのは、通常どなたにゆだねられているんですか。

情報センターの担当者がすべてやっております。   

一番権限のある情報センターの決裁権者というのは、どなたになりますか。

参事で、当時は船越という者がやっておりました。現在は、企画開発課長をいたしております。  

乙第三八号証を示す
今回裁判になっているのは、この広告放送なんです。このような集会の案内に関する放送というのは、通常はどのチャンネルでなされるべきものなんでしょうか。

私は、文字放送チャンネルが適当だというように思います。   

それはどういう理由からですか。

こうした、いわゆるいろいろ勉強会の案内は、当然住民に知らすべき義務があるだろうし、知る権利を満たしてあげるというのが、住民サービスだと思っております。   

今回の広告主であった山口さん、控訴人なんですが、町と掛け合ったときに、これは町が企画したものではないから、無料文字放送チャンネルは利用できないと、最終的には断られているんですけれども、それについては正しいんでしょうか。

私は、住民が税負担をして作りました放送施設でございますから、当然、その要望を受けて、文字放送チャンネルでやるべきであっただろうと。このように思いますし、私だったらそうしたと思います。   

ちなみに、このケーブルテレビでは、五色町の議会の中継というのはやっていますね。

やっております。

議会の中継の中で、今回問題となっている残土搬入間題というのは、当然議題には上がってますね。

ほ場整備事業、これは公共事業でございますので、それに残土搬入につきましてのいろんな問題が、去年の一二月の定例議会、あるいは三月の定例議会に、同じような質問が一般質間として出されておるのを、ケーブルテレビを通じて見ております。   

そのような議会中継の放送がなされて、五色町内に大きな反響があるとか、そのようなことはありますか。

余りなかったと思います。   

先ほど示した広告内容なんですが、第一回未来フォーラムと題したものなんですげれども、これはどのような集会であったかは、御存じですか。

たしか、どこかの大学の先生も加わって、勉強会であったと思っております。

何についての勉強会でしたか。

島外から搬入されます、いわゆる黒い土と言ってますが、見た目が真っ黒ですから、建設残土を黒い土というふうに言っておりますが、それについての勉強会。その前段には、その黒い土が、保健所の検査によって、1.7倍の基準値を超えるヒ素が検出されたということから端を発しておると思っております。  

出席された人々の感想というのはどのようなものだったか、証人は御存じですか。

大変勉強になったし、これからもっと環境問題を考えなきゃならんなという印象を持って帰った人がたくさんあったと、私は聞いております。私は出席しておりませんので、友達から聞いた話であります。   

残土搬入問題なんですけれども、島外からの建設残土を搬入することに、例えば、どのようなメリットがあるのか、簡単に説明してください。

ほ場整備事業と大きな関係がございまして、ほ場整備事業は、土地改良法という法律に基づいて、七〇%が国庫補助、一〇%が町の随伴補助をして行うものでございますから、それだけの経費を使って、畦畔の急い所をやる場合に、残土があれば、大変効率のいい田んぼが出来上がるわけであります。したがって、どうしても中山間の傾斜地にっきましては、そうした土砂を入れて効率よく作るというのが、みんなの願いであります。   

斎藤さんが町長であった時代にも、島外からの残土搬入をした地域というのはあったんですか。

二箇所ございました。   

逆に、この残土搬入について、もし問題があるとすれば、どのような問題があるんでしょうか。

土砂の入出の規制条例というのを私のときに作ってありまして、五色町の地形からして、地下水に影響のない所、あるいは特に交通渋滞とか、皆さんに迷惑のかからないような地域だけを、新しい土と混ぜ合わせてほ場整備事業に使い、効率よく仕上げた所がございます。また、その所は、人家の少ない、あるいは密集地を通らない所に限定し、浸透する地下水が、五色町の一〇〇%地下水を利用する水道事業に影響がないと、いうことを十分に確認し、なお土砂の検査をした上で、許可をしてまいったものでございます。   

五色町の上水源というのは、すべて地下水で賄っているんですか。

はい。五色町の上水道は、特に淡路島は常習干ばつ地帯でございますので、台風がこないと、ため池に水がたまりません。そういうことで、地下水に着目をいたしまして、一〇〇メートルから二〇〇メートルの深井戸ポーリングでもって、日量約五〇〇〇トン使用している住民の一〇〇%の水を供給しておるわけでございます。ですから、その地下水が汚染されるということは、水道事業が成り立たないことでございまして、私も含めまして、歴代の管理者、いわゆる町長はこれに大変な神経を使ってまいりました。   

要するに、残土搬入にはメリットとデメリットがありまして、要するに、残土について汚染があれば、水源問題から、町全体の大きな問題になっていくと、そういう理解でよろしいんですか。

そうです。   

残土搬入を望む地域の農家につきましても、利用する水道というのはやはり地下水なんですよね。

はい。   

残土が汚染されているかどうかにっいては、残土搬入を望む地域の農家の人にも大きな関心があるわげですか。

もちろんございますし、汚染された残土によってほ場整備をしていこうという考え方を持った人は一切ないと、理解をいたしております。きれいな土だから利用しようと、こういう発想であります。   

今回、五色町内では、残土搬入を巡って激しい対立があったというような主張がなされて、原審でも認められているんですが、五色町の実態としては、この残土搬入間題を巡る意見の対立というのはあったんでしょうか。

私は、残土搬入に対する意見の対立は一切なかったと、そういうように思っておりますが、前段として、汚染されない建設残土で、それでやっていくという前段でございますので、汚染されているか、いないか分からないものについての大きな論議はないと理解いたしております。   

五色町に限らず、一般の町民というのは、いろいろ意見は持つんですけれども、自分の意見を表明するというようなことはあったんでしょうか。

自分の意見を述べるということの少ない地域でございます。特に田舎の習慣として、隣近所のことにはできる限り協力しようと。自分たちが多少心配でも目をつぶろうという、そういう地域性がございますので、そうしたものでの公の論議があって、対立があったということにはなりにくい土地でございますのと、利用者の方々も、町税でもって補助金をいただいて、そして八○%の補助金を投入して、最終的には、自分個人の個人財産の付加価値が高まり、利用しやすくなると。それが仮に財産を売らなきゃならん場合でも高く売れるという、そうした現実がございます。したがって、それらの論議があるはずがないと、私は理解しております。   

一般の町民としては、おとなしい町民が多いということですか。

そういうことです。   

汚染されていない残土の搬入まで否定するという考え方はあったんでしょうか。

ごさいません。   

逆に、汚染された残土というものを、それでも望むという人々はいたんでしょうか。

私は、なかったと思います。というのは、ほ場整備地域の人たちも、残土の出ておる現場を、業者の案内によって視察をし、安全だということの確認で、この事業を進めようかということに決まったと聞いておりますし、それは搬入業者が案内をして、尼崎かどこかでございますけれども、二、三箇所見て回ったようでございます。したがって、安全確認の上で決断したというふうに理解をいたしております。   

ところで、残土搬入について、もし中止すれば損害賠償を起こすぞと言っていた地域があるようなんですけれども、そのようなことはあり得るんでしょうか。

先ほど申し上げましたように、この事業は公共事業で、個人財産の付加価値を高め、そして農業生産力を高めていくということの、個人財産を良くする事業でありまして、損害賠償を町に請求するということは、町民が負担をしながら個入の財産を良くしていっているのに、そうした発想が出てくるはずがないと。八○%も補助金をもろうて、農林公庫の金を長期で借り入れて、担保物件もいらずにできる事業でありますから、そうした発想がどこから出てきたのかということは、私は疑問を感じるところであります。   

今現在も五色町で生活なさって、今の砂尾町長の町政なんですけれども、残土搬入ということについては積極的な姿勢はあるんでしょうか。

私は、あると思います。   

それは、どのようなところからうかがえるんでしょうか。

砂尾町政のこのたびの就任の挨拶にもありましたように、社会開発のハード事業を優先してやっていくという基本方針の中で、それらが進められておると。こういうふうに理解していいんだろうと思っております。   

今回の広告放送の中止事件というのは、御承知だとは思うんですけれども、その中止があったという事件を知って、どのように思いましたか。

私は、大変なことになるなと感じました。特に、ちょうどそのときは、洲本市なり、.西淡町、三原町がケーブルテレビ設置の工事最中でございまして、この判決を、この問題を大変関心を持って見ておりました。いわゆる一般の住民の皆さん方が、この情報の施設を、町のためだけに、町が行政をやりやすくするために使われたんでは大変だという問題を思っております。それと、行政が直営でございますので、管理者である町長のそうした行為というのが、大変な、今後のケーブルテレビの運営に大きな問題、禍根を残すと。いわゆる町長傘下の職員でございますので、取材活動にもどうしても町長の意向が反映されやすいと。直営であるがための、そうした懸念がありまして、これはオープンに、住民の施設としての運営をしていかなならんと、こういう感じを受けたわけでございます。   

同時に、新聞に出ていた、控訴人に対するホームステイを中止したという事件もありましたよね。

はい。   

これについては、どのように思いましたか。

これこそ、全く、私も行政に携わりましてから、基本的な同和教育ということに、特に表面でなしに、地に足のついた同和行政を進めてきたつもりでありますし、常にそうした形で、人権を中心とした行政を進めてきたつもりでございます。いかなる理由があるにしろ、町が依頼をし、そうしたロシアの子供たちと地域の子供たちの交流を図っていくホームステイ事業に、いかなることがありましても、それを変えていくと、取りやめると、そこにはさせないという、こういう人権を侵害するようなことは絶対にあってはならんと。これだけは、いつまでも私たちが戒めていかなならんと。こういうことを強く感じたわけであります。  

第一審の判決では、五色町内での住民の対立が激化していたという認定があるんですが、そのような事実認定については、率直にどのような感想を持たれましたか。

五色町が始まって四〇年、賛否両論に分かれて対立をしたというのは、庁舎位置問題を巡って合併したときに、議会が十三対十三で収拾がつかなくなったこと以外には、私はなかったと思っております。  

議会の中継なんかもご覧になっているとは思うんですが、議会の中で、残土搬入間題で議会が激しく対立しているという状況はあるんでしょうか。

私の聞いた範囲では、議員の協議会、あるいは議会の中で、そうした大きな対立論議が出て混乱したということは聞いておりませんし、それの賛成、反対の論議が大きく戦わされたというようなことは、少しはあったのかも分かりませんけども、私たちの耳には入ってまいりません。   

五色町民一般については、従前どおりの生活を続けているということでよろしいんでしょうか。

そのとおりであります。   

今回証人に立ってほしいという話がありまして、この法廷に出ることについて、いろいろ立場的な問題もあったかと思うんですが、どのような気持ちでこの延言に向かわれたのでしょうか。

ケーブルテレビの経緯、あるいは人権問題、そして黒い土の問題には大変関心がございまして、この裁判の結果が大変気になっておりました。淡路全体の関係町村が関心を持っておったことでございますので、何らかの対策を講じないと、行政が大変ゆがんだ方向に行く可能性があると、こういうように感じました。したがって、ケーブルテレビの経緯、最初にほ場整備に黒い土を許可してきた経緯、そういうものが分かっておる人、説明のできる人は私しかないと、いう気持ちで証人喚間をお受けしたわけでございます。  

控訴人、被控訴人のどちらかに有利になるとか、不利になるとか、そういったことは考えておられますか。

一切考えておりません。したがって、町長の砂尾さんのほうから、そうした証言をしろと言われれば、今日と同じような証言に立つことを了解し、今日と同じ証言をすると思います。  

  
被控訴人代理人(伊藤)
証人の先ほどの一番最後の御証言の、今日この法廷に出られることになった経緯ですが、それは証人のほうから証人に出るということを買って出られたのか、あるいは山口さんのほうからそういう依頼があったのか、その点はどうですか。

山口先生から私に、ケーブルテレビの経緯について証言してほしいという依頼がございました。  

甲第一九号証のあなたの陳述書を拝見いたしますと、二枚目の冒頭部分に、証人と現町長の砂尾さんが個人的にも友人であるというくだりがございますので、その点にっいてお伺いします。証人と砂尾町長とは、私的な立場で、友達どうしとして交友関係が何かあるんですか。

私が現職町長のときに、砂尾さんが議員として出てこられました。そして企業誘致を、特に若者定住対策として取り組んできたわけですが、それらの事業推進につきましては、当時砂尾建材という会社の社長でございました砂尾さんにはいろんな面で協力もいただきましたし、また、そうした事業推進のために、私も裏から支援をさせていただいたこともございます。   

その点は結構なんです。まず、あなた御自身と現町長が。

それで個人的にも、よく杯を交わしながら議論し合ったことがございます。   

それは、町長とか議員としての立場で、そういう機会を持たれたという意味ですか。それとも、私的な席でそういうことがあったんですか。

議員としても、あるいは私的なことも含めて、私はあったと理解しております。   

今の御証言で、砂尾建材に対して、証人のほうが支援をされたということでしたけれども、具体的にはどういうことを意味されているんですか。

砂尾さんのプライバシーに関する問題が事業面でございますので、詳しく申し上げることはどうかと思いますが、会社がうまくいかなかったという段階がございまして、それらの会社をもり立てるために、友人であります企業の方に依頼をして、従業員を預かっていただいたり、そうした会社再建についての裏からのお手伝いを、友人としてやらしていただいたことがございます。   

平成七年の五月の町長選のことが、先ほどの御証言で出てまいりましたが、あなた自身の認識は置いておきまして、町民の認識としましては、砂尾町長の対立候補だった岡さんという方は、斎藤さんの後継者であるという見方が強かったのは事実ですね。

私は、そうは思っておりません。  

あなたの見方じゃなくて、町民一般の見方はそうだったというふうには考えられませんか。

こういうことを一言で言いますと、砂尾さんと岡さんとは地元どうしの仲間でありました。その選挙を戦うことになりまして、私の後援会の役員さん方が双方に分かれて応援活動をいたしました。ですから、私の最も信頼する人が砂尾さんの地域の後援会長になり、また、私の友達が岡さんの後援会長になりというような形で、私の後援会が真っ二つという形で双方を支援したと。その前段に私が後援会を解散しておりまして、皆さん自由に、長いことお世話になったけども、思うままに応援をしてあげてくださいということで、皆さんに、それぞれ好きな方、自分に合った方を応援していただいたと思っております。   

私の質問はそういう観点ではなくて、もう一度よく聞いてください。あなたの認識は置いておきまして、町民一般の見方であるとか、あるいは町職員の見方からすると、岡さんという候補者は、あなたの後継者であるという見方が強かったですね。違いますか。

いいえ。私は、そうは思っておりません。   

本件の背景にある黒い土の搬入間題というのは、もちろん御存じですね。

はい。  

あなたは、そこで言う黒い土というのは、どういう意味であるというふうにお考えですか。

黒い土というのは、中途からいろんな土砂が搬入されてまいります。特に淡路島は瓦の産地でございまして、五色町から七〇%の瓦川原上が搬出されております。これは青い土であります。青滑とも言います。あるいは黄色い土もございます。それが瓦用原土でございます。建設残土で、船によって淡路の港に運ばれてくる土は、いい土とか悪い土とかはともかくとして、色が真っ黒けてあります。ですから、一般に、通称黒い土というふうに呼んでいるわけであります。それが汚染されているとか、されていないとかいうのは、論外でございます。見た目で言うております。   

そういう意味の黒い土の搬入について、証人自身は、積極、反対のいずれかの意見はお持ちですか。

当時、関空の埋立てで盛んに淡路から積み出されよって、それの戻り船で、阪神間、大阪の地下鉄工事なり、あるいはビル工事の建設残土がその船によって連ぱれてくると。ピストン運転でやられておりまして、何で淡路から山の土を削って関空へ持っていき、あるいはポートアイランドヘ持っていって埋立てに使って、向こうで搬出されてくる建設残土、真っ黒けの土をなんで淡路に持ってくるんやと。それならば、関空にその黒い土を、使えるものなら使うたらどうだろうという話を、公の席でも度々申し上げたことがございますし、地域整備推進委員会というのを淡路の町長で組織しておりますが、その中でも申し上げたことがございまか。   

端的に申し上げると、証人としては、黒い土の搬入には余り賛成の立場ではないという理解でよろしいですか。

賛成でございません。   

証人は、本件の控訴人である山口さんが代表を務めている、五色・淡路未来フォーラムというのは、御存じですか。

知っておりますが、どういう内容であるのかは、定かではございません。分かりません。   

証人は、五色・淡路未来フォーラムに対して、過去に資金的な寄附をされたことはありますね。

あります。   

その寄附の目的ですげれども、どういうことでされたんですか。

世界的規模で地球環境を守っていこうという緑の地球ネットワーク大学夏期フォーラムを、私と山口さんの協議の中で、ユネスコの未来学連合のノーベル賞受賞学者の皆さんを先頭にして、十数名の学者の皆さん方に五色町へ来ていただいて、ネットワーク大学を、自然を守らなければ大変になるという、世界規模での学習会をいたしてまいりました。現在第七回が終わったところでございまナが、それの趣旨から、そうした未来フォーラムは環境について勉強するんだと、みんなお金がないからカンパを願いたいと言うので、私は単純に、その勉強会ということで資金カンパを一万円させていただきました。   

今おっしゃった資金カンパですけれども、いつごろなされたんでしょうか。

もう定かではござ'いませんけれども、三年ぐらいになるんじゃないかと。二年か三年になると思います。   

この裁判が提起されたのが、例えば、訴状の作成で申しますと、平成九年の十一月四日なんです。その少し後に寄附された御記憶はありますね。

私は、そうした意味で寄附した記憶はございません。  

この裁判を進めるにあたって費用がかかるので、資金的な援助をしてほしいという依頼が、山口さんのほうからありませんでしたか。

ごさいませんし、第一審のときには私は一切これに関知しておりませんし、結審を見て初めで、困ったことになったなという感じを持ったものでございます。ですから、一審のときの内容は、私は全然存じておりません。   

資金カンパをしたこと自体は、事実だということですね。

未来フォーラムというか、そういうような勉強会をするんだと言った山口さんに資金カンパをしたんじゃなしに、その議員をしておりました上木さんに資金カンパをしたと思っております。   

当時から、五色・淡路未来フォーラムの代表は山口さんだったんでしょう。

その経緯は、私は詳しく存じません。   

話は変わります。本件のケーブルテレビ設備が作られて、その運営に関する条例ですとか、規則、要綱が作成されたのは、証人の在任時代でしたね。

そうです。開設にあたって、すべて法整備をさせていただきました。   

五色情報センター広告放送取扱要綱という要綱があるのは、証人も御存じですね。

後からできたと聞いております。   

甲第四号証を示す
今申し上げた要綱ですが、一番末尾に、施行期日として平成七年五月一日という記載がありますげれども、これは証人の在任中ではないんですか。

在任中ですが、記憶が定かでございません。   

二条の一五号というのが、本件で問題となっている規定なんですけれども、この作成にあたって、証人が関与されたというのも、記憶がはっきりしないんですか。

これの作成については、私は目を通して決裁をしてあると思います。   

そうすると、要綱の作成の責任者はもちろん。

私であります。  

ということになりますね。

はい。  

一五号の表現は、どういう議論を経て、こういう表現になったんですか。

当然、どの条項、要綱でも、すべて、不適と認めたものということは入れでございますが、これは常識の範囲であります。すべて町長がどうでもなるという解釈ではございません。  

一五号の表現自体は、特に変わったものではないですよね。

そうです。  

先ほどの甲第四考証の要綱を見ますと、施行日である平成七年五月一日当時から、申込みによる広告放送というのも予定されていたように理解できるんですが、それはそれで間違いないですね。

ちょうど、この時期は、阪神淡路大震災の混乱時期であります。それどころの騒ぎではないわけです。私も、一月一七日から退任の七月一四日までは、夜を徹して国と県との震災復興に駆けずり回っておりまして、体調を崩しまして、医者にかかりながら一四日まで頑張ったっもりでありまして、この選挙とか、そうしたテレビ広告であるとかいうような、関心をそこに持っていかなならんような環境、状態ではございませんでした。何とかこの災害を、元どおりの町にしたいと、復旧したいと。それと合わせて、災害復旧のための新しい制度を国土庁で作ってもらおうということで駆けずり回っておった時期でございますので、細かいそうしたことはかなり記憶が薄れておりますのと、そのほうが重要な問題でございましたので、私の記憶の中で一番苦労した時期だと、こういうふうに思っております。それと、先ほどちょっと言い忘れたんですが、住民が岡さんを私の後継者であると理解したんではないんですかということの中で、私が二回町長選挙をやったんですが、三選を目指したときの対抗馬は、当時の農協組合長でありました岡さんでありましたので、岡さんと一騎打ちを演じた仲でございますので、住民の皆さん方がどうとっておられるか、そして後援会の皆さんが真っ二つで双方を応援されたというところから見ますと、私は個人的にも口出しのできない立場であったということが理解していただけると思います。  

話は変わります。証人作成の陳述書の三枚目の終わりから四行目辺りで、私の在職中にも、早くから、ほ場整備なり、道路拡幅の要望が地元から強く出ていたという趣旨のくだりがございますが、具体的におっしゃっていただくと、どの地域からこういう要望が出ていたんですか。

米山地域の私の身内の方々から、何とかならんかという話が出まして、水利組合、いわゆる田主といいますが、その皆さんからも、この道が狭いので何とかならんやろうかという相談がありました。そのときの答弁も覚えておりますが、ちょうど今米山地区のほ場整備をしている所から、町に届出をしなならん、町の搬出入の規制条例がありますけれども、無断で土を取って、よそへ埋め立てようとして搬出しておりました。そういうような所の土も利用したら、うまくいくのではないかというアドバイスもした記憶がございます。あくまでも、これはその地域の田主関係の、地権者関係の、水利組合の方だけにでございます。   

今お話に出ました米山区からの要望というのは、いつごろ出たということでしょうか。

早くから出ておりました。私が在職中の、辞めます二、三年前から、そんな話がたくさん出ておりました。   

平成の。

四年、五年ごろです。   

そういう要望は、かなり強い要望だというふうに、あなたは受け止められたわけですか。  

そりゃ、地形を見ますと、何とかしてやりたいという気持ちはございましたし、特に、私的なことですが、私がお世話になっておった身内の方もありましたために、何とか考えるええ方法はないかなと、一緒に頭をひねったことを覚えております。   

米山区の話が出ましたけれども、それ以外の地区からの要望というのは、あなたの耳に入っていませんでしたか。

入っておりません。   

今回のこの裁判の背景としまして、黒い土の搬入間題があって、積極派、反対派があるのかどうかということに関してですけれども、平成九年三月ごろに、鳥飼地区を中心に、三六七七名ほどの反対派の署名がなされたという事実を、証人は御存じですか。

そうした署名を集められたということは聞いております。   

それは、いつ御存じになられましたか。

議会に陳情書が出た段階だったと思います。私は相談を受けておりませんし、関与しておりませんので、分かりません。   

平成九年七月二七日ごろに、極楽寺という所で、反対派の集会が持たれたという事実は、証人は御存じてしたか。 

この裁判の高裁でのそういう資料の中から、それを見て初めて知ったぐらいであります。   

当時は、それは御存じでなかったということですね。

はい。  

そのころ、また別の大浜町という所でも、反対派の会合が持たれたということは、御存じてしたか。

知りません。  

一方、推進派といいますか、積極派の活動として奥の内部落という所から残土の搬入を止めないでくれという要望が、町長あてに出されていたという事実は、御存じてしたか。

知りません。  

同じく積極派といいますか、推進派として、米山地区という所から、町長に対して具体的な要望があったということは、御存じですか。

この機会に初めて知りました。   

町長在任中の御経験でも結構なんですけれども、町長の所へ、町民の方が直接陳情、あるいは要請に来るということはよくあるんですか。

町長の自宅へ要望陳情に来るということは、私は一六年の間それをしておりませんので、私はすべて役所で、役場で陳情、要望、あるいは一日役場、行政相談、そうした形で聞かしていただいておりました。私の信念として、陳情行政は誤りを犯すと。行政は自ら、住民の立場になって、入っていって、住民のそれぞれのニーズを汲み上げてくるべきであるというのが、私の行政の基本理念でありますので。   

証人は、現在、控訴人である山口さんが主催されている五色・淡路未来フォーラムには、参加されているんですか。

しておりません。  

話に出てきました、緑の地球ネットワーク大学という企画が、証人の町長在職中にありましたよね。

はい  

現在は、こういう企画は現実には動いてないんではないですか。

現在は、五色町で三回やりまして、私の退職後、私が事務局長を引き受けまして、淡路島の一番北端にあります東浦町で、町と共催の形で未来フォーラムをずっと続けてまいりました。今年も、ノーベル医学賞をもらったオハイオ州立大学の先生をはじめとして、外国からの著名な学者の皆さん方が来て、.五日間フォーラムをやりました。最後に子供たちの意見交換で幕を閉めまして、一応今年で終了いたします。  

砂尾町長の時代になってからは、五色町としては、緑の地球ネットワーク大学は主催しなくなったと聞いてよろしいんですね。

私が七月一四日の退任でございまして、準備万端整っておりましたので、八月六日からの五日間のフォーラムは、砂尾町長を委員長としてのフォーラムを行いまして、その後、これは条例で決めてございましたので、議会で条例を廃止してできなくなりましたので、基金も積んでおりましたが、それらも廃止しましたので、東浦町長にお願いをして、東浦町に会場を移して、ずっと続けてきたわけでございます。   

緑の地球ネットワーク大学の主催は、山口さんで間違いないんですね。

違います。   

山口さんは、どういう立場の方ですか。

副委員長であります。委員長は尾上さんといいまして、京都大学の名誉教授です。定年の前は滋賀大学の学長さんです。  

山口さんは、委員長を務められたことはないんですか。

ございません。  

五色町がバックアップして、緑のネットワーク大学の企画をされていた当時ですけれども、年間予算としてはどれくらいの金額が、ネットウーグ大学に支給されてましたか。

約五〇〇万円でありますが、一般からの寄附も入れておりますので、実質当時何ぼいっておったのか、一般のいわゆる支援寄附金で一七〇〇万円程度の基金になっておったと思います。それでやろうとしておりました。

町からは五〇〇万円ということですか。

大体五〇〇万円程度が、町からの支援と考えておりました。  

控訴人代理人(辰巳)
先ほど、反対派という言葉そのものが争いだから、そういう言葉は使いませんけれども、集会が開かれたり、逆に、町に陳情が行われたということは、この控訴審になって、斎藤さんがかかわられてから初めて知ったということでよろしいんですね。

そうです。詳しいことはそういうことです。  

斎藤さん自身、五色町に生活していましたけども、こういう集会や陳情については、この事件までは認識がなかったということでよろしいんですね。

その運動については無関心でありました。

  
  大阪高等裁判所


    裁判所速記官  黒台 智子

   
     


(注)本文中のカタカナの氏名を以下のように訂正させていただきました。


     「ウエダさん」 ー> 「上木さん」
     「オノウエさん」ー> 「尾上さん」