〒656-1325       

          五色町鮎原南谷521

 

              山 口 薫    

            Ph.D. (米国経済学博士)

   

 

          2001年 元旦   

 

 

   拝啓 淡路島合併論にご関心の皆さんへ

 

21世紀の新年あけましておめでとうございます。

 

  最近、淡路島の合併問題が淡路版の紙面を賑わせていますが、1島民の私には全然情報もなく、まったくつんぼさじきにおかれているような状態でした。そんな折り、年末の30日に「津名郡合併研究会だより」なるパンフレットが町内会から配布されて我が家に舞い込んできました。その中に「ご意見やご提言をお寄せください」という呼びかけがありましたので、21世紀元年のお正月の優雅なひとときを尺八を吹きながら思索し、以下のような提言としてまとめましたので、ご一考いただければ幸甚に存じます。

 

 

 

淡路島4市連邦都市構想

 

ー淡路島を愛し、発展を願う1島民からの提言ー

 

 

 


1.ささやかなる愛島ボランティア活動

 

 淡路島をこよなく愛する1島民として、この島の未来への発展、島民の福祉の向上を願い、これまでささやかなボランティア活動を行ってまいりました。私のふるさと淡路島への愛着を知っていただくと同時に、こうした活動から淡路島の未来像が浮かび上がってくるのではと思い、まずは紹介させていただきます。

 

| 淡路島を地球村ふるさと創造の世界的モデルにしたいーこんな思いで、「緑の地球ネットワーク大学」の学際的未来セミナーを、五色町、東浦町のご支援を得て1993年から7年間、淡路島で開催してきました(目下、今年夏の第8回セミナーを準備中)。このセミナーにはノーベル賞学者2名を含む数十名の国際的に著名な学者・ユネスコ高官らが海外から淡路島を訪れてくれ、ホスト役の私に、淡路島の自然の美しさ、人と自然が融和するすばらしさ、島民のホスピタリティーへの感動を率直に語ってくれました。同ネットワーク大学のホームページ muratopia.org には、こうしたセミナーでの提言をもとにした淡路島の未来像が掲載されています。

 

} 淡路島で地球環境にやさしいエコホームづくりをしたいーこんな思いで、数年前に約30年ぶりに生まれ故郷の淡路島にUターンし、太陽光発電、太陽熱利用床暖房、金魚が住める高性能合併浄化槽、地場産業の瓦の利用等々、環境に配慮したログホームづくりを始めました。2年前のお正月に、フランスのテレビ局がユネスコと共催でパリを中心に世界5カ所(ロンドン、ロサンゼルス、大阪、フィージー島、パリ)を生中継で結んだ、地球の未来を考える1日3時間、3日間連続の特集番組を企画しましたが、その番組の中で私の淡路島でのエコホームづくりが全ヨーロッパに紹介されました。またバングラデッシュからの女性ゲストと2人で大阪難波のスタジオに招待され、同番組で話す機会をえました。

 

~ 祖先が千年の長きにわたって守ってきた汚れなき清らかな淡路島の大地に、なぜ阪神間の汚染された黒い土(建設残土)が、持ち込まれなければならないのか、みんなで考えてみようーこんな思いで島民学習会を企画したところ、ある町から人権侵害、表現の自由侵害にあたる妨害を受けることになり、この学習会に参加した島民有志が自らの地方自治を確立するために裁判闘争という形で立ち上がりました。その後この事件が「淡路島五色町CATV広告中止事件(メディア用語を学ぶ人のために:世界思想社1999年、274ページ)となって広く全国に知られるようになりました(現在、最高裁で係争中)。

 

 菅原道真漂流伝説、梅(Ume)とウグイス(Uguisu)にちなんだ未来のふるさとづくりを始めようーこんな思いで、淡路島最初の特定非営利活動(NPO)法人「淡路UU21平安の郷づくり協会」の設立を企画し、地元での環境問題に取り組みつつ、さまざまなふるさとビジョンを提言してきました。

 

=@地上最後の楽園、インド洋のセイシェル諸島と姉妹島交流をし、淡路島をセイシェルのような「花と緑と小鳥の楽園」にしようーこんな思いで、セイシェル共和国の淡路花博出展を淡路UU21協会のボランティア活動の一環として支援し、同国ナショナルデー には、セイシェル大使および国立植物園長を招待し、淡路島を見学していただきました。その後、セイシェル大使から、世界で唯一双子ヤシの原生林のある同国プラリン島との姉妹島交流についての強い支持を頂き、新たな姉妹島交流を目指して目下「淡路・セイシェル姉妹島交流協会」を設立準備中です。

 

a@大阪・阪神間から淡路島を眺めてみればどんな未来が見えてくるだろうかー私は毎週、通勤のバスの車窓から超過密都市と農村の豊かな田園風景のコントラストを眺めつつ、こんな思索にふけっています。今選択を誤らなければ、IT時代の21世紀には、超過密化を回避しつつ、きっとすばらしい豊かな田園都市として、みんなのあこがれの淡路島、ネットワークで結ばれた世界の淡路島が創造されるに違いない。祈りにもにた私の未来空想が毎週続きます。

 

 

2.淡路島1市10町の合併問題を考える

 

視点その1:世界の中の淡路島

 

 私はこれまで幸運にも研究発表、国際会議等でさまざまな国を訪れ、異なった自然環境に接し、研究者や現地の人々と草の根レベルの交流をする機会を持つことが出来ました。アメリカ、ロシア、中国、インドのような超大国、韓国、台湾、ホンコン、タイ、シンガポールのような発展するアジアの国、ドイツ、イギリス、スイス、スペインのようなヨーロッパの国、フィンランド、ノルウエーのような北欧福祉社会の国、ハンガリー、チェコ共和国のような旧共産圏の東ヨーロッパの国、ハワイ、ニュージランド、オーストラリア、モーリシャスのような、太平洋、インド洋の島国、地域等々です。

 こうした諸国を訪れ、「ふるさとは遠きにありて想う」につけ、淡路島の緑の鮮やかさ、海の幸・山の幸の豊かな自然、人情味あふれる島民の優しさ、国生み伝説に象徴される歴史、伝統文化の奥深さに感動を覚えるような体験を幾度となくしました。淡路島は、日本という国の形を超越して、関西空港、太平洋を空と海の玄関口に「世界の淡路島」としてデビューするに足る資格を十分に有しています。私の誇張なき実感です。ところが多数の島民の皆さんは、こうした自分たちの宝物、可能性に気づいてないのではと残念に思えてなりません。宝物をなくしてから悔やんでも、Too Late です。

 日本政府、地方自治体の中には、今後長きにわたり財政赤字が足かせとなり、身動きがとれず倒産するところも出てくることでしょう。そうした国内の状況、政府の無策にがんじがらめにされることなく、私たち島民は、世界の中の淡路島として発展してゆく道を求めるべきではないでしょうか。ホンコン、台湾は国ではなく、経済地域として発展し続けています。また、淡路島と比べて国土の面積が約76%、人口が約51%〔約8.1万人〕の小国、セイシェル共和国が、世界の楽園セイシェルとして光り輝いています。私たちも「国やぶれて山河あり」ではなく、「国やぶれても淡路島あり」という国の形を超えた視点で淡路島の未来を考えてゆくべきではないでしょうか。

 

視点その2:100年後の22世紀の淡路島

 

 1998年4月5日の明石海峡大橋(私は、淡路島北大橋 Awaji North Bridgeと呼びたい)の開通を境として、淡路島島民の意識に大きな変化が生じ始めて来たように思えます。大橋開通以前には、淡路島は日本の戦後の経済成長から取り残された過疎の島、若者のいない高齢化の島という意識が支配的でした。こうした意識を前提に、島内各自治体は、過疎対策や高齢化福祉対策に精力を注いできました。また過疎対策としての宅地造成等の公共土木事業、助成金事業に地元の多くの業者が群がる島独特の産業構造が出来上がってしまいました。山林を乱開発し、阪神間から建設残土持ち込むことによってしか存続できないといういびつな産業構造に追い込まれてゆきました。上述の未来セミナーでも、こうした厳しい淡路島の現実を幾度となく突きつけられました。自らの羽を抜いてしかはたを織ることが出来ない鶴の話は悲しい物語ではありますが、自らの身を削って織り上げた織物は、お世話になった老夫婦への感謝のしるしという温かい鶴の心は、明るい未来へとつながる希望があります。それに反し、乱開発、ゴミ捨て等、過去からの遺産を食いつぶしながら現世を生き延びてゆくという淡路島の産業構造には、未来につながる何の希望もありません。

 これに反し、大橋開通後の島民の中からは、淡路島はもはや過疎地ではない、都会のようなゴミゴミした島にしたくない、そんな島には住みたくないといった意識が急速に芽生えつつあります。1999年8月8日に、東浦町で開催した緑の地球ネットワーク大学オープンセミナー「子供達が描く未来ビジョン」での同町内の小、中、高校生20名による発表は衝撃的でした。神戸、大阪のような大都会並みの便利な淡路島になってほしいと願うような未来像を描くのではという私の予想に反し、ほとんどの子供達は、これ以上環境が破壊されることがなく、池で魚が釣れたり、浜で泳げたり出来るような今のままの静かな町であってほしい、そんな町に住みたいという保守的な未来像を描いたのです。おそらく島内の他の地域の子供達に作文してもらっても、同様な内容になるのではと思われます。子供達の心には、もはや淡路島は開発から取り残された過疎の島という暗いイメージはみじんもないのです。逆に島の環境破壊、環境汚染に敏感に反応し、自らの命、環境を守ろうとする癒しの意識が芽生えつつあります。


 私たち大人も、淡路島は過疎の島ではないという子供達の感性に学ぶべきではないでしょうか。ここに簡単な平方キロメートルあたりの人口密度データがあります。北欧の福祉国家フィンランド、ノルウエーの人口密度は、それぞれ17人と14人。島国ニュージーランドも14人。それに反し、不況と環境悪化に悩むインド洋の島国モーリシャスでは、何と571人となっていますが、その北隣の楽園セイシェルは3分の1以下の178人です。またヨーロッパの先進国、イギリスとドイツは、それぞれ244人と235人となっています。それに反し淡路島の人口密度は267人もあり、イギリスやドイツを超えています。イギリスやドイツの中堅都市を訪れる度に、淡路島にいるような安らぎを覚えた私の心は、こうした同程度の人口密度がもたらす豊かさから醸し出されたものかもしれません。その淡路島はすでにそうしたヨーロッパ先進国を超えて、今や人がひしめき合う空間になろうとしています。このように地球規模で観察すれば、淡路島は過疎の島という意識は、もはや統計的にも主張できないことがわかります。

 子供達は淡路島合併論争には参加できませんが、淡路島に今後一番長く住み続け、合併の影響を最も長く受けるのも子供達ですし、私たちの子孫です。そんな将来世代の子供達にどんなすばらしい22世紀の未来をプレゼントしてあげることが出るのか、私たち大人は今真剣に考えるべきでしょう。子供達の叫び声に耳を傾け、彼らが望む未来を創造するために、どんな淡路島の形を、今選択すれがいいのか、こうした視点で考えてゆくことが必要でしょう。

 

3.淡路島4市構想

 

 淡路島の未来を考えるときに、無視できない兆候が今、現れつつあります。大橋開通後に新しく形成されつつある島民の人の流れです。現在、東浦、津名、三原・福良、洲本の4極を中心として、人の流れが渦巻きつつあります。最近の複雑系の理論研究による都市形成過程の初期段階が生まれつつあるようです。この形成過程は、どんな力をもってしても阻止することが出来ない、今後数百年におよぶ自然発生的な都市のエボリューション過程と考えられます。ちょうど洲本市が城下町として淡路島でこれまで唯一の都市として発展してきたようなものです。だれもここに洲本市を創ろうと計画して出来た町ではないのです。こうした長期的都市エボリューション状況を踏まえながら、また上述の2つの視点等を総合的に視野に入れて考えてみると、淡路島は以下のような4つの市に統合されるのが望ましいし、またその方向に進化してゆくのではという淡路島の未来イメージが浮かび上がってきます。

 

 

 

 

 

 

 


北淡路市

 

 淡路町

 東浦町

 北淡町

* 淡路島North Bridge(明

   石海峡大橋)で阪神間に

   繋がる北の玄関口。

* シンガポールのような

   IT公園都市

淡路市

 

 津名町

 一宮町

 五色町

* 津名港から広がる世界への

   玄関口

* いざなぎ神社に代表される

  歴史と国生みの文化都市

南淡路市

 

 三原町

 西淡町

 南淡町

* 淡路島South Bridge

 (鳴門海峡大橋)で四国に

  繋がる南の玄関口

* エコロジー農業の田園都市

洲本市

 

洲本市(現)

 緑町

* 淡路島East Bridge(将来

  の紀淡海峡大橋)で和歌山

  に繋がる東の玄関口。

* お城のある城下町、温泉・

  マリーナの国際保養都市

 

 

淡路島4市が望ましい理由を6つ述べてみます。

 

@ 4つの安定空間

 

 まず、淡路島という1つの生態系の上に乗る4つという都市空間は、東西南北のような非常に安定的で長続きのする空間となります。面積的には、淡路市と洲本市がほぼ同じで、全体の4分の1ずつを占め、残りの半分を、北淡路市と南淡路市が3対7の割合で占めることになります。また前ページの図からも明らかなように、人口密度も4市ともほぼ同じとなり、非常に均等で、分散された空間が実現されます。

 

   

 

 


A     ゆとりある空間

 

 淡路島の国勢選挙区がこれまでの西宮市から分離され、明石市に併合されることになり、島民の頭の中には、淡路島を飲み込むような大きな明石市という観念が出来上がりつつあります。しかしながら、この明石市と淡路4市の面積を比較すると、面白い事実が浮かび上がってきます。

 

 

 1番面積の小さな北淡路市でも明石市の1.8倍、最大の南淡市では実に4.1倍となるのです。また閑静な高級住宅街として知られる芦屋市と比較すると、淡路4市の面積はそれぞれ4.8倍から10.9倍へと大きく広がります。すなわち、淡路島4市はいずれも、明石市や芦屋市よりもはるかにゆとりある都市空間を備えていることになります。

 昔、大阪の人は芦屋に住んでいる人に「よくあんな山奥に住んでいるね」と驚嘆したそうです。その芦屋市がいつの間にか羨望の住空間となり、「私も芦屋のような高級住宅地に住みたい」となりました。ところがそんな芦屋市も今ではマンションが林立し、高級な町の面影が失われつつあります。

 これまで私は学生から、「淡路島のようなド田舎によく住んでいるね」とコンパの酒席でよくジョークされました。ところが、淡路花博で初めて淡路島を訪れた学生からは、「先生は、きれいな場所に住めて幸せだね」と言われるようになりました。淡路島の4市が、近い将来かつての高級住宅都市、芦屋市のようにリッチになり、羨望のまとの田園都市に変身するのは時間の問題でしょう。

    

B 多様性とロマンの香り

 

 アメリカの州境、ヨーロッパの国境を越えて旅をしていると、例えば "Welcome to Oregon" といったような看板に歓迎されると同時に、異なったローカル色にも歓迎されます。そして、違う地を訪れているのだという実感と喜びが湧いてきます。明石市から電車、車等で、神戸市、芦屋市、西宮市へと訪れてもこんな喜びは沸いてきません。いったい阪神間の都市にはどんな特色、タウンカラーがあるのだろうかと考え込みます。


 淡路島の4つの市が、上述のような都市の特徴を核にしてそれぞれが智恵を出し合えば、多様なローカル色を打ち出せることになり、やがて島を訪れる人々をロマンの香りへと誘うことが出来るようになるでしょう。例えば、市全体が太陽電池で光輝く空間、風力発電の風車のある空間、並木道の熟した果樹が取り放題の空間、ハーブの香りの空間、ITによるエコビジネスパークの空間、未来博物館のある空間等々、あたかも、ユニバーサルスタジオ、ディズニーランドのようなテーマ空間を、島全体としての4つの空間にちりばめるのです。そしてそれぞれの空間には、市民が直接参加出来、独自のアイデンティティーを多様に開花させてゆくことが出来る身近な行政があり、あたかも4つの渦潮の中心のような求心的作用をしているのです。

 淡路島ノースブリッジを渡り、4つの多彩なカラーと香りの空間を順々に巡りながら、サウスブリッジから徳島へ抜けてゆくルートは、想像するだけでもワクワク楽しい阿波への路、新アワジ路となります。淡路島を訪れ、こうした4つの都市の多彩な顔に出会う喜びが出て来れば、観光客、来島者が世界中から引き寄せられることになるでしょう。いつ訪れても魅力的な、心が癒される世界の中の楽園、淡路島のデビューです。

 

C 競争による効率性

 

 競争なき市場はやがて淘汰されてゆきます。市場経済の冷酷な原則です。地方自治体も組織論的には、自然的独占力を付与された1組織にすぎませんが、これまでは国家の潤沢な地方交付金のもと、「おらが町にも」という一見競争的なようなかけ声とともに、独自の独占力が作用して経済的効率性のない数多くのムダな投資(施設、道路、港湾建設等)が繰り返されてきました。国家に財源的余裕がなくなった今日、地方自治体にも経済的効率性に基づく財政、行政サービスが求められるようになってきました。冷酷な市場原則が地方自治体にも波及し始めてきたのです。

 淡路島1市10町もこうした時代のうねりに襲われはじめ、それが今日の合併論へとつながって来ているのではと思われます。こうしたうねりに恐れをなして、寄らば大樹の木のごとく1つに固まって、この難局を乗り切ろうという淡路島1市論が台頭し始めてきていますが、淡路島に独占的な1市が誕生すれば、独占にさらに拍車をかけるがごとく益々経済効率の悪いムダ、サービスの低下が生じるのは火を見るより明らかです。

 淡路島1市10町時代のムダ、独占的1市から予想されるムダという双子のムダをなくして、効率的な市民サービスが得られるような適正な行政規模とはいかほどでしょうか。

私は、上述のように淡路島の状況を地理的、歴史的、文化的、経済的に総合判断して4市と結論しました。お互いに隣の市の行政を睨みながら、切磋琢磨して島内で競争してゆく、また、島民は効率性、サービスの良さで、行政をお互いに評価、批判しあってゆく、そんな状況が淡路島を活性化し、島全体を大きく発展させてゆく原動力になると思います。

 

D IT時代のネットワーク的組織

 

 IT革命の情報新時代には、それにふさわしい組織が必要です。現状の淡路島1市10町でもやり方次第では効率的な行政サービスの提供が可能ですし、むしろ現状維持でIT技術を有効活用する方がよいのかもわかりません。しかし現実には、こうしたIT技術を十分に使いこなせる自治体職員が不足しているのも事実です。もちろん、出来る限り自治体のサービスを民営化、アウトソーティング化することも大事ですが、それだけでは十分ではないでしょう。また、ITベンチャビジネスを地元で育成支援するインキュゲータの行政主体としてはあまりにも規模が小さすぎます。

 そこでIT時代の最適自治体規模として、こうした問題点に対処できるような規模へ拡大する必要が出てきます。こうした意味でIT時代の淡路島では、これまでの3つの町が合併して1つの市になるのが最適規模ではないでしょうか。こうしたIT自治体が誕生すれば、4市が互いに競争、ネットワーク化しつつ、淡路島の新ITベンチャー、情報サービス、グリーン産業を育成、隆盛させてゆくことが出るようになるでしょう。

 

E 環境保全に適正な規模

 

 これまでの淡路島1市10町では、広域化する島の環境問題、環境保全に対処するには、あまりにも規模が小さく、また無力でした。しかし淡路島が1市になれば、こうした問題が解決するとも思えません。逆に業者サイドよりの市長でも誕生すれば、島民のNPO環境運動に比してその力が強大となり、パワーバランスが崩れ、淡路島は一気に関西のゴミ捨て場、産廃処理場、土取り場となる危険性が増大します。

 自治体と島民NPOが緊密に連絡を取りながら、パワーバランスを保ち、きめ細かな環境行政を実施してゆくためには、そして誇りあるふるさとづくりをしてゆくためには、常に市民の身近にある中間的規模の自治体の誕生が淡路島には必要となるでしょう。淡路島4市構想はそうした方向性に合致します。

4.淡路島連邦都市構想

 

@ 淡路島連邦議会

 

 淡路島4市になり、互いに競合しあうことになれば、島全体に関わる諸問題(島の全体的総合環境保全、均質な全島的行政サービス、全島にわたる大型イベント、姉妹島交流等々)が総合的に解決できなくなるのではないか、また、迅速な解決策が求められるような全島緊急防災のような問題では、全く無力になってしまわないか、といったネガティブな側面が考えられます。確かにこうした危惧は残ります。だからといって、そのために淡路島1市論を唱えるのは、短絡的です。確かに強力な行政単位が出現すれば、こうした問題は一挙に解決される可能性(あえて可能性と強調しておきます)は、あります。しかしながら、後述のようにこの解決策は淡路島をかえって沈滞、硬直化させ、豊かな淡路島を創造するという合併の目的と相反することになります。

 そこで、こうした全島的問題を解決する手段として、互いに独立、自立した淡路島4市が、その代表者と財源を提供し、権限を移譲する淡路島連邦議会(議長は4市長持ち回り)の創設を提案します。アメリカ連邦政府のような機能と、国連の加盟国分担金の拠出を併せ持ったようなシステムを有する淡路島連邦都市(というよりは淡路村といった方が適切)を創設するのです。連邦議会のメンバーは、各市から市長を含む数名で構成すればよく、まさに、淡路村の村民といった感じのメンバー構成となります。またこの連邦議会で、裕福に成長した市からそうでない市への財政的支援を決定するといったようなコミュニティー互助問題を取り扱えば、まさに村の農繁期の互助の伝統の再来、再生となります。事務局は4市からの出向職員数名で構成されるネット上のバーチャル事務局で十分です。

 

A 淡路島 島立公園

 

 10数年にわたるアメリカ滞在中、私はアメリカ西部の大自然の広大さ、美しさに魅了され、暇を見つけては愛用のV8のフォード・ステーションワゴンをぶっ飛ばし、時にはフリーウエイの側道で車中夜を明かし、時には山中でテントを張って何日も過ごしながら、カメラ片手に西部の山々を歩き回りました。北はカナダのロッキー山脈から、グレーシャ、グランド・チートン、イエローストーン、アメリカン・ロッキー、ヨセミテ、ザヤン等々へと南下し、グランド・キャニオン、デスバリーに至るまで、約20の国立公園を、あたかも大自然の妖精に取り憑かれたかのように駆けめぐりました。また、この大自然の美しさを何とかフイルムに焼き付けて感動を持続させたいとの思いで、大学の写真映像論 (Photography)のクラスで学び、自分で白黒、カラーの現像が出来る技術も習得しました(いつしか約7,000枚に及ぶアメリカ西部大自然のスライド・コレクションが出来上がりました)。

 アメリカの国立公園システムは、イギリスから独立し、独自の国造りを始めたアメリカが生み出した世界に誇る自然保護システムです。そのおかげで後生の私たちがその大自然の美しさに感動することが出来るのです。こうした国立公園の景観は、自然を心から愛する誇り高き「レインジャー」と呼ばれる公園管理者によって守られています。そうした国立公園の施設に比べると、淡路島のオートキャンプ場はまさにジョークです。インド洋の楽園、セイシェルは、環境保護政策では世界一厳しい国だそうですが、さらにアメリカからこうした専門のレインジャーを招いて、同様の国立公園システムを作り上げようとしているそうです。自然の景観、楽園も、常に磨いてゆかなければ光り輝きません。

 淡路島連邦議会の最初の仕事は、淡路島に現存する手づかずの自然林、保護林等を、国や県や淡路4市から譲り受けるか、もしくは共同管理者になり、「淡路島島立公園」として創設することです。そして淡路島レインジャーを養成して、その保護、管理運営にあたってもらうのです。淡路島4市の連邦議会が智恵を出し合ってこの仕事に集中すれば、それが他の分野の仕事へと波及し、そこから淡路島の未来が展望されてきます。アメリカ連邦政府が100年以上にわたって手がけてきた国立公園システムの淡路版を、4市の連邦議会で着手するのです。淡路島が世界の淡路島として、又未来永劫に輝き続けるための必要条件です。淡路島連邦都市の存在理由はここにあるといっても過言ではないでしょう。

 

B 新しい地方分権モデル

 

 こんな連邦都市構想なんて聞いたこともない、一体、地方自治法等の現行法体系でこんなことが可能なのだろうか、こうした疑問に答えるためにこそ合併研究会があるのであり、島外の専門家を招いて検討すればいいのではないでしょうか。私たちは、国生みの島の島民です。国生みの島からこうした新しい地方分権モデルを誕生させるのだといった積極的姿勢があれば、実現可能ではないでしょうか。

 すなわち、自然環境、歴史風土、文化等を共有する市町村(私はこれをエコ・シェア地域と呼んでいます)が新たに連邦都市を形成し、お互いに智恵と人材と財源を出し合って権限を連邦都市に移譲し、調和ある発展をめざすという、従来のトップダウンに代わる、ボトムアップの、ネットワーク型の新しい地方分権モデルを誕生させるのです。わずか人口8万人のセイシェル共和国でさえも、独自の政府を組織し、国内の政治、経済、社会、環境問題から国際的外交問題までこなしているのです。人口16万人の淡路島に出来ないはずはないと思うのですが、いかがでしょうか。また、こうした連邦都市構想が成功すれば、新しい地方分権モデルとなり、近い将来、関西州誕生のモデルとなり得るかもしれません。淡路島のような地理的に限られ、経済的に影響力の小さい空間でこそ、トライするに値する構想ではないでしょうか。

 

5.淡路島1市論の誤り

 

 淡路島1市論の論点を知らないで議論するのは少々気が引けますが、淡路島を活性化したい、公務員の削減等の行政サービスの効率化を促進したい、全島が1つになって環境問題、経済促進、高齢化対策等の課題に迅速に取り込みたいといったような目標がその背景にあると考えて間違いないでしょう(国や県が合併を促進するからというのは決して目標とはなりません)。一言でいえば、淡路島をより豊かにして島民の福祉を向上させるということにつきるでしょうか。すばらしい目標です。

 この目標達成のために、淡路島を1市にすべきであるという手段が出ているようです。問題は、この手段が目標達成に適切かどうかです。こうした議論のないままにいつしか淡路島1市が実現すれば、上述の諸目標も自動的に達成されるのだという論理の飛躍、短絡化が行われて、賛成論者は思考停止状態になっているようです。思考停止になれば、あとは「淡路1市」の実現という錦の御旗を担いだお祭り(島外有識者・学者による講演会等の儀式)をやるだけです。本当に「淡路1市」なる手段が、淡路島を豊かにするという目標を達成するための有効な手段たり得るのでしょうか。ここまで私の提言をお読みいただいた読者の方々には、NOという正解を出していただけると思いますが、今一度この問題を整理してみましょう。

 

@ 淡路島がなくなる

 

 淡路島は紛れもない1つの生態系です。「淡路は1つ」とことさら強調しなくても、おのころ島誕生以来1つだったし、今後も地震で沈没することがない限り1つであり続けるでしょう。にもかかわらず、わざわざ「淡路は1つ」いうスローガンを掲げて、淡路島1市が実現したとすれば、皮肉にも淡路島は逆になくなってしまうことになります。

 そうなる簡単な思考実験をしましよう。現在ではNHK、民放等のメディアで「淡路島の洲本市では・・」というように「淡路島」が冠として付けられて表現されていますが、淡路1市になればどうなるでしょうか。「神戸市では・・」「明石市でおきた・・」と同様に「淡路市で問題となっている・・」となり、メディア報道からも島が消えることになり、観念的に淡路島はもはや島でなくなることになります。島民ももはや淡路島を意識しなくなり、阪神間と同じ市民として振る舞うようになります。すなわち、島独自の生態系、環境に無頓着となります。それならば「淡路島市」と呼べばいいではないかという考えが出てきそうですが、お隣の「徳島市」を例に取れば答えは明白です。

 大多数の日本人は、経済大国日本の東京や大阪はニューヨークや北京のような大陸の大都市と何ら変わらない、同じだと考えるようになり、海で囲まれた島国の町なんだという観念を捨て去ってしまいました。その結果いつしか私たち日本人は、大陸の人々と同じような思考、行動パターンをするようになりました。そう思うのは自由ですが、残念ながら事実は、日本は小さな島国(ミクロネシアの延長のヤパーネシア)なのです。「島国日本の東京では・・」といったように「島国日本」とう冠がいつも付けられていたら、日本人は今日のように傲慢にはならず、太平洋の島国の人たちと同じようなやさしい心を持ち続けることが出来たことでしょう。

 淡路島が4市になると「淡路島の洲本市では・・」「淡路島の北淡路市では・・」となり、淡路島が観念的にも常に島内外で意識され、「淡路島は1つ」という求心力が働き続けることになります。また島という雰囲気が醸し出す島民の純朴な心も生き続けることになります。

 

A ビジネス旧思考

 

 淡路島1市論運動を積極的に展開されている方々は、淡路島の産業界を背負って立つ商工会議所、青年会議所に集う経営者の方が多いと新聞紙上でお見受けしております。なぜ未来の淡路島を担うこうした経営者の方々が淡路島1市論に傾くのでしょうか。私には不思議で仕方ありません。よく考えてみると、上述したような淡路島の過疎化の中で生き延びるために選択せざるを得なかった旧態の産業構造にその答えがありそうです。工業化時代の旧思考からすれば、行政が1つの方がビッグプロジェクトはやりやすいし、大きいことは常にいいことでした。

 しかしながら、こうした旧態の工業化時代の産業は21世紀の淡路島にふさわしくありません。IT革命の情報新時代には、淡路島はエコロジカル農業とIT情報サービスが主導する「ITエコ・アイランド」となるはずです。すなわち、第1次産業と第3次産業が融合する新しい産業の島、エコロジーとITが融和するニューベンチャービジネスの島となるはずです。こうした新産業の振興には、それにふさわしいネットワーク的行政組織が必要です。

 淡路島1市論に傾斜し、大きくなった行政の庇護のもとでこれまでのように公共事業で延命策を図ろうといった旧思考では、結果的に自らの首を絞めることになります。世界を相手にITビジネス(グリーンビジネス、電子商取引、ベンチャービジネス等)で打って出るという新思考で努力することの方が先決ではないでしょうか。その時にはきっと淡路島1市のような硬直した行政ではなく、淡路島4市のようなより身近で柔軟な行政の方が強い味方となってくれることでしょう。

 

B 非効率行政

 

 淡路島の行政が1つになれば、確かに迅速な行政サービスが可能となるでしょう。島民は優しく、公権力に従順です。トップダウンの命令ですべてが順調に運びます。行政サイドからすれば、こんな効率化はないでしょうが、果たしてそれが、市民サイドから見た真のサービスの効率化に結びつくでしょうか。

 前述のごとく、地方自治体は組織としては、会社のような民間組織と同じですが、それに独占力が付与された特殊な組織で、競争なき自然独占企業と同じとなります。独占が非効率的であるのは経済学のイロハです。すなわち、淡路島1市による行政の効率性追求が、結果的には非効率化をもたらすのです。1つの島に1つの行政体しかなければ窒息してしまいます。

 これを阻止するためには、これまでのような、公聴会、公的委員会による対応では不十分で、 反独占の拮抗力としての市民運動、NPO活動の行政参加が不可欠となります。淡路島にこうした市民勢力が育つには少なくとももう1世代はかかるのではないでしょうか。その間、行政と市民のパワーアンバランスが生じ、住民サービスは低下し、次第に行政が硬直化して、島民は文句も言えずただ耐えるだけと言った最悪の事態にもなりかねません。淡路島4市の場合には、このようなパワーアンバランスも解消され、島民の間に行政サービスへの選択肢が広がり、これをうけて行政間同士も競争的になり、結果的により効率的な行政サービルが達成されます。

 

C     環境無責任行政

 

 世界中の環境問題への取り組みを見れば、ある傾向が見えてきます。すなわち、環境破壊に敏感に反応し、取り組んでいるのは、自分たちの住環境が破壊され、生命が脅かされている市民であり、それを支援する環境NPOです。それに対し、行政は常に後手に回り、結果的には環境破壊を助長しているケースもあり、また明白にプロビジネスのスタンスをとっている行政体も数多くあります。すなわち、環境問題については、行政サイドは常に無責任体制であるというのが相場であり、期待しすぎない方がいいということです。

 こうした一般的状況を考えれば、淡路島の環境保全のためには、1市よりも4市の方がいいということになります。淡路島1市となり、上述のようなパワーアンバランスが生じた状態で、もし旧思考の経済開発優先市長が誕生したとすれば、世界に誇る鮮やかな緑の淡路島の環境はどうなるでしょうか。どうせあまり期待できないのであれば、ポートフォリオのようにこうした危険を分散する4市の方が、環境問題に関しては明らかにセカンドベストです。

 さらに、環境NPOが活躍できるためにも4市の方がベターです。アメリカや日本の政府と比べ、ヨーロッパの小国やセイシェルのような小さな政府の方がなぜ環境問題に熱心なのでしょうか。それは政府が国民の手の届く身近にあるからです。

 

D     コミュニティー自助崩壊

 

 五色町で誕生し、全国に知れ渡った在宅老人福祉制度は、淡路島の誇りでもありましたが、介護保険制度で大きく揺らいでいます。はたして介護保険制度は日本で機能するのでしょか。特に淡路島のような地縁、互助精神の強い地域では、介護保険制度に替わり、五色町が目指したコミュニティー自助支援制度の方がうまく機能するのではと考えられます。そのためには、より決めの細かな行政と島民が直接にふれあうことのできる行政サービス、支援が必要となります。淡路島1市は、空間的にも明石市の数倍と広すぎ、ふさわしくありませ。

 

 

E 思考停止

 

 上述したとおり、淡路島1市論者の方々の思考はすでに停止しており、あとは「淡路は1つ」という錦の御旗をかざして行進あるのみといった状況となっているようです。淡路版の紙面を読む限り、そのためのセレモニーが繰り返されているとしか思われません。悲しい限りです。豊かな淡路島を創造するために、淡路島の未来はどんな形がいいのか、今一度、島民や子供達のために思考を再開していただきたいと願うのは、私だけでしょうか。

 

6.新国生み物語の誕生にむけて

 

 昨年は超多忙をきわめたので、21世紀元年のお正月は、お酒を浴びてのんびりと無為に過ごしたいと願っておりましたが、年末に突如舞い込んだ合併研究会だよりのおかげで、パソコンの前に座り、終日キーボードをたたきっぱなしのお正月とあいなりました。また資料収集のために、インターネット検索、情報ダウンロード、その加工へと追われました。おかげで肩はこるやら、目はチカチカするやら。 

 このような状況で、お正月という短期間に一気にまとめあげた提言ですので、思い違い、間違いがあるかもわかりませんが、読者の皆さんには訂正の上、お読みいただければ幸いです。この提言がきっかけとなり、淡路島合併論が活発に展開され、21世紀の国生み論議へと発展し、そこから新しい淡路島の未来の形、「新国生み物語」が誕生すれば、私の「肩こり、目のチカチカ」もきっと癒されることでしょう。

 お役所も図書館も職場もすべて休日閉鎖のお正月、しかも淡路島という情報「過疎」といわれる島に住んでいる、にもかかわらず、その気になれば世界中から情報が収集でき、レポートが作成できる、そんなIT情報新時代に生きるありがたさを、今回実感いたしました。また淡路島のような地球村ふるさとに住み、小鳥のさえずりを聞きながら、カントリーリビングをし、仕事が出来る幸せに感謝しました。こんなすばらしい宝物に囲まれて21世紀の新世紀を生きてゆける私たち島民は日本一幸福者かもしれません。

                

                合掌

 

                                        

この提言は 以下のWeb ページにも掲載していますのでご覧ください。

    http://muratopia.org/Awaji