20世紀文明の大転換

ー新しい文明の扉を開こう ー

古沢広祐

国学院大学経済学部 経済ネットワーキング学科教授


(1)20世紀文明とは何だったか ー その特徴的パターン


 人類史の長い時の流れをみるとき、産業革命を境にして人類の活動は、人口増加、エ

ネルギー消費量、情報量、交通量などどれを取り上げても飛躍的な成長をとげてきた。

なかでも20世紀後半の数十年間の成長ぶりはめざましく、人類史上再び起こることの

ないような急激な成長(大量生産・消費)の時代を私たちは生きている。今世紀の百年

ほどの間に化石燃料使用量は十数倍、工業生産量は20数倍に膨れ上がり、しかもその

5分の4は1950年代以降に達成されたという幾何級数的成長の道を歩んでいる(図

1)。この傾向が今後も続けば、21世紀中には現状の数倍規模に拡大し、環境問題の

深刻化、生物多様性の崩壊(種の絶滅)、資源枯渇などどの面をとっても破局的な状況

に直面せざるをえない。まさに20世紀文明の急拡大が重大な岐路に立っているのであ

る(図2)。

 また(図3)をみてのとおり、産業革命をへた高度産業社会(技術人)は、太古の人

類の約百倍規模のエネルギーを消費することで豊かな文明社会を謳歌していることがわ

かる。エネルギーを表す言葉に馬力という言葉があるが、奴隷労働をイメージする人力

という表現を仮に使うならば、つまり現代文明社会では各人が約百人力のエネルギーに

よってその豊かさを支えているわけである。その大半が遠い過去に蓄積された化石燃料

によってまかなわれており、まさに化石燃料消費が文明の推進力となってきたのであっ

た。

 こうしたエネルギー消費によって放出されるのが二酸化炭素(CO2)であり、昨年1

月の京都会議(COP3)では、地球温暖化を促進するCO2を主要因とする温暖化ガス放出

を2010年前後までに平均して約5%削減することに決まった。しかし、現状レベル

でCO2濃度を安定化(濃度増加ストップ)させるためには、今のCO2放出量を半減どころ

か7割程度の削減が必要であり、増加速度(スピード)にどの程度ブレーキがかけられ

るか予断を許さない。

 ここで状況を巨視的にとらえ、20世紀型文明の発展パターンの特徴をあげると次の

ようになる。第1の特徴は、図1、図2、図3にみられるように2倍、4倍、8倍と幾

何級数的な成長・拡大傾向をもって展開してきた点である。第2の特徴は、そうした成

長・拡大が人類社会に平等にいきわたって進んだのではなく、局所的な偏在傾向をもっ

て進行してきた点をあげることができる。それは、(図4)の富の偏在の分布図に典型

的に示されている。現状をみるかぎり、世界人口のわずか4.5%にすぎない米国人が

世界のCO2排出量の23%を放出し、人口比で2割ほどの主要先進諸国(OECD:経済開

発協力機構、旧ソ連、東欧を含む)が6〜7割近い量を放出するといったように、一握

りの国が大量の資源消費と廃棄を行っているのが実態である。世界人口の7〜8割近く

を占める途上国のCO2排出量は34%、そのうち中国をのぞけば22%でしかない。

 つまり、20世紀の発展パターンの特徴は、世界人口の2割にすぎない先進工業国が

、全体の資源・エネルギーの8割近くを独占的に消費する偏った消費パターンに象徴さ

れるように、経済的豊かさが地球規模で一種の階級的社会を形成してきたことである。

その様子は国別一人当たりのCO2排出量の格差においても端的に示されている(図5

)。そしてこの図4を見てわかるのは、その形が先に示した図3の形によく似ているこ

とである。つまり先進諸国が達成した高度産業社会(技術人)は今のところ人類のうち

の一握りにすぎない。そして、今後この発展形態(レベル)を人類すべてに拡大するよ

うな将来展望はありえないこと、大量消費・廃棄型の先進工業国社会は物質・エネルギ

ー量的にはその縮小によって均衡をはかることが求められているのである。CO2削減問

題は、このことを人類社会に明確に提示したもので、全世界が一丸となって方向転換を

はかろうとする文明史的な転換を意味している。


(2)サステイナビリティ(持続可能性)をめぐって


 以上みたように、私たちの文明が持続不可能な発展パターンに陥っている現状に対し

、いわゆる「持続可能な発展」(サステイナブル・デベロップメント)が提起されてき

た。その理念と内容をめぐって、世界中であらゆる分野の人々を巻き込んで数多くの議

論が行われてきたが、世界共通の普遍的なビジョンや実践へのシナリオが明確に提示さ

れるには至っていない。

 この概念をめぐって、さまざまなアプローチが模索されているが、大きく整理すると

2つの流れがあるようにみうけられる。すなわち、<1>永続的な資源・環境利用を模

索する流れ(どちらかというと自然科学の領域を中心)、<2>広義の公正の概念を適

用する流れ(倫理学を含む社会科学の領域を中心)である。

 <1>の流れは、具体的な物質量を持続可能性として設定しようとすることから比較

的わかりやすい。なかでも基本となる概念整理としては、3つの基本的条件すなわち、

[ 再生可能資源:消費量を再生量の範囲内におさめる ] [ 枯渇性資源 :消費を再

生可能資源で代替する ] [環境汚染物質:排出量を分解・吸収・再生の範囲内に最小

化、排出量<吸収・無害化] (ハーマン・デーリー)などがある。

 実際には、何を重視するか重点の置き方が違ったり、さらに扱う問題や技術的可能性

の評価などをめぐって、持続可能性にはさまざまな試みがあるが、大半はほぼ上記の基

本的条件をふまえたものに集約されると見てよかろう。例えば、一例として環境容量(

エコスペース)などの考え方も、物理的利用条件としてはほぼ同じ基本条件を考慮した

ものと考えられる。

 <2>の公正概念を適用する流れについては、ブルントラント・レポート『われら共

有の未来』(Our Common Futuur:1987年、邦訳『地球の未来を守るために』)で表現

された概念、「将来の世代がその欲求を満たす能力を損うことなく現在の世代の欲求を

満たす開発」という表現内容がよく引用される。表現的には世代間の公正に重きを置い

た記述になっているが、全体的な記述をふまえるならば、基本的には二つの要素、すな

わち現存世代の公正(南北問題:世界的貧困問題、資源・財・環境への不平等なアクセ

ス)と、将来世代との世代間の公正問題(将来世代の資源・環境の収奪)という二つの

座標軸からなる配分をめぐる調整問題であるとしてとらえることができる。私流に言い

換えれば、現存世代内での共生的関係をどう形成するか、および将来世代間のと共生的

関係をどう形成するかということになる。

 配分・公正をめぐる調整問題として追求していく場合、この概念の内容については次

の点をもう一つ考慮し明確化しておく必要がある。つまり、現代世界の動向として人間

中心主義に対する批判や生物多様性条約などの成果をふまえるならば、基本的な座標軸

としてはもう一つ、生物・自然との共生的関係の軸を設定しておく必要がある。すなわ

ち、上記の公正な配分問題は狭く解釈すれば、人間の世界の中だけでの調整にすぎない

。我々が直面している課題をより明確に表現すれば、人間と他の諸生物あるいは自然環

境自体との相互バランスをどのように調整するかという課題について、いわば第3の座

標軸が考慮されるべきである。

 つまり、公正さの概念ないし配分の調整問題を、@人間と自然とのバランス調整、A

現存世代内でのバランス調整、B将来世代との間のバランス調整、という3つの座標軸

の中での相互調整が具体的な戦略課題となってきているのである。こうした動きは現在

、主に環境倫理学などの分野を中心に概念レベルの検討が進められている。

 以上、2つの流れのうち、前者はいわゆる環境コストをどう内部化するかという問題

として、後者は社会的コストをどう内部化するかという問題として、社会経済学的に言

い換えて議論することができる。ここでは、とくに環境コストをどう内部化するかとい

う問題(環境調和型社会の実現)について述べることにしたい。


(3)文明エンジンの構造転換


 今こそ我々の文明発展パターンの重大(危機的)な欠陥を真剣に受けとめ、軌道修正

と構造変革を速やかに実行していく青写真を早急につくる必要がある。しかも、その青

写真は過去の延長による部分的な改良では追いつかない、文明エンジンの構造転換を伴

わざるをえない性格を持つ。おそらく人類のこれまで知識と知恵と文化を総動員し、か

つ過去の延長戦的な発想を超えた新しい枠組み(パラダイム)を構築していく必要があ

ると思われる。こうした文明史的な挑戦という事態を真剣に受けとめて、どこまで構造

転換に果敢に取り組めるかが21世紀社会への適応力をきめることになるだろう。

 これまでの20世紀文明の発展形態は、大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される

ように、社会システムの入り口(INPUT)と出口(OUTPUT)をどんどん拡大する形で経

済発展をとげてきた(図  )。つまり、入口(資源採取)と出口(廃棄・汚染)をど

んどん広げて社会経済システムの拡大膨張を続けてきたわけだが、資源と環境の限界性

にぶつかって入口と出口を縮小しながら社会経済システムを維持・発展させるというパ

ラダイム転換(環境調和型社会の実現)を求められているのである。

 これまでの発展パターン、とくに20世紀に花開いた文明エンジンの推進力(化石燃

料消費)が、まさに180度逆の方向転換を迫られているのである。とりわけ今世紀に

急加速度展開した動きが、21世紀には大修正どころか正反対の展開を求められている

。比喩的な表現を使えば、そこでは「20世紀文明」と来るべき「21世紀文明」との

相克とも言うべき事態が起きているのである。

     (別紙、図 参照)

         ┌───────┐

     INPUT →   社会システム   → OUTPUT

            生産ー流通ー消費(廃棄)

└───────┘

 環境調和型社会をどう実現するか、経済学的には環境コストをどう内部化させるかと

いう実践的な取り組みが様々なアプローチとして始まっている。個別の動きの全体像を

わかりやすく整理すると、社会経済システムの入口の所からコントロールする方法、出

口の所からコントロールしようとする方法、それに関連して生産システム改善ないしは

トータルな生産・流通・消費・廃棄システムの改善を目指す方法などとしてとらえると

理解しやすい。

 例えば入口の所からの一例としては、環境容量(エコスペース、エコロジカル・リュ

ックサックないしフットプリント)を算定して、それに基づく社会・生活システムの構

築を目指すアプローチがある(表  参照)。出口の所からのアプローチとしては、例

えばゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)システムの構築を目指す動きなどがある。また

、個別に生産・流通・消費・廃棄システムの改善を目指す方法としては、環境管理、環

境監査、LCA(ライフサイクル・アセスメント)、環境調和型製品の開発などの動きが

ある。今のところ、それぞれの領域で開発研究が進められつつある。


(4)環境効率革命と市場のコントロール


 他方、環境調和型社会への転換をはかるための政策手法という観点からみた場合、大

きくは4つほどのカテゴリーに類型化できる(表  )。経済学的には経済の外部性(

環境コスト、社会コスト等)をどう内部化するかという問題だが、@ 技術的解決方法

の他に、A 法的・規制的方法(強制的な管理統制)、B 経済的方法(課徴金、助成金

、環境税、排出権取引、エコラベル、等)、C 社会・文化による内部化(慣習、倫理

、教育、ライフスタイル、等)がある。

┌──────────────────────────────────────

┐│

│  技術的解決方法・・・・公害防止・環境保全技術、LCA、環境管理・監査

│  法的(規制的)手段・・・・環境規制(禁止・罰則・制限)、許認可・利用規制

│  経済的手法 ・・・・課徴金、助成金、環境税、排出権(市場)取引、エコラベル

│  社会・文化による内部化・・・・習慣、慣習、倫理、教育、生活文化、規範

└──────────────────────────────────────

┘ 

 比較的わかりやすく受け入れやすいのが(1)の技術的解決方法である。ただしそ

れが単独で自然に解決・展開するわけではなく、とくに(3)の経済的方法(手法)の

活用や(2)の制度的な枠組みをどうつくるかが重要な鍵をにぎっている。(1)(2

)(3)が相互に関係し合ってはじめて実効性あるものになるのである。すなわち文明

転換に向けての第一段階は、環境効率革命および環境市場革命を連鎖的に推進していく

枠組みをどう作り出すかである。

 こうした動きを社会経済的に定着させるためには、従来の貨幣経済的なコスト・ベネ

フィット(損益)評価に環境関連の評価指標を組み込む必要がある。例えば製品の分析

評価について、エコ基準とかLCA分析などの各種評価手法が試みられており、いわゆる

エコラベルの導入などに適用されつつある。世界的にも欧州を中心にISO(国際標準化

機構)14000の中でそうした評価が具体化されつつある。各国レベルでもドイツの

循環経済法のように、リサイクルと廃棄物ゼロに向けた制度変革も進行し始めている。

 だがこうした動きは、20世紀文明の旧来型体制にとっては大きな足かせ(貿易と投

資の新たな規制)と見なされるので抵抗も大きい。とくにグローバル化した市場経済の

拡大圧力は、自由貿易(WTO:世界貿易機関)体制下でいっそうの規制緩和を求めてお

り、環境に名を借りた保護主義の台頭として警戒されている。しかし環境関連の規制枠

組みや評価指標がきちんと市場システムに組み込まれない限り環境効率革命は進展しな

いのである。その意味でも国際的な条約で、CO2削減の枠組みづくりなどを形成するこ

とが、文明転換の第一段階にとってきわめて重要である。

 そして、おそらくこうした環境産業革命を徹底して追及していくと、その行き着く先

は、私たちの社会システムや生活様式をトータルに変革していく方向に進んでいくだろ

う。一例をあげれば、より少ない資源消費や環境負荷で、十分な満足が得られるような

生活の豊かさ意識(価値観)・文化の形成、一種の生活美意識を作り上げていくことが

求められている。産業も、造って売ってしまえば終わりといった製造・販売に重点を置

いた現在のモノ販売中心の市場システムから、修理・回収・再生が十分に機能する製品

レンタル制度の普及やサービスの質(中身)を提供することに主眼をおいた社会へと究

極的には変わっていく社会展望が描けるように思われる。


(5)生態系重視の文明形成 ー 食・農・環境教育の視点から


 次に持続可能な発展について、具体例として食料・農業生産を例にして考えてみよう

。人口増加にともなう食糧危機に対して、増産など新たな技術開発と生産性向上が期待

されている。他方、無理な生産性向上を追求した近代農業技術への反省から、とくに環

境との調和をめざした有機農業や持続可能な農業の必要性が叫ばれている。しかし、一

般的にこうした農業は生産性が抑えられる傾向があり、増大する世界の需要を賄いきれ

ないのではないかといった批判が出されている。つまり、「有機農業で世界は養えるの

か」という問いかけだが、これについての解答は、生産のあり方のみならず消費のあり

方にこそ解決の重要な糸口が隠されている。言い換えれば、生産のあり方は、消費・生

活のあり方によって大きく左右されるということである。その糸口を示唆する興味深い

動きが、地球環境問題とも関連して、食と農を通じてのライフスタイルの変革運動とし

ていろいろと出始めている。

 例えば最近、全国各地で「エコクッキング」のガイドブックづくりが行われており、

旬の野菜、地場の野菜を利用し(エネルギー節約)、捨てるものがないよう上手に料理

してゴミを少なくする実践などが、環境への負荷を減らすエコロジー運動の一環として

行われている。また、「地球にダイエット」キャンペーンでは、食べ方(食メニュー)

の中身を環境との関わりで見直す取り組みが行われている。食メニューを、たんに栄養

評価からではなく、どれだけの面積やエネルギーを要して生産されるかまで評価して、

エコロジカルなメニュー(エコダイエット)として見直していこうというものである。

 肉食過多や風土(季節)に反した不自然な食生活は、自分の健康ばかりでなく、地球

の農耕地や資源・環境にも過大な負荷をかけてしまう。例えば現状ベースの世界の農耕

地の生産で、米国などに代表される大量の残飯や廃棄を前提にした飽食と肉食(動物性

蛋白)過多の食事(西欧型食生活)を世界中の人間がとった場合、世界人口は現状の半

分も養うことはできない。他方、穀菜食を主としたインド的な食生活ならば、世界人口

は現状の倍になっても養えるというわけである。地球との共生をめざすエコダイエット

やエコクッキングといった消費のあり方こそ、有機農業で世界が養えるか否かを決める

鍵となる問題提起なのである。

 そもそも私たち人間が生きてるということは、周囲と切り離れて自分だけ孤立的に存

在してわけではない。周りの世界とのつながり、空気、水はもちろんのこと、食べ物で

言えば、水田との繋がりと、家畜との繋がり、あるいは地域の山々や樹木ともつながて

いる。栄養源の供給から見ても、漁業や田んぼや畑は元来は林や森林があることで、そ

れらがうまく共存し合う関係(共生的関係)で成り立っていた。そしてそこに永続可能

な社会の基盤が築かれていたのである。

 産業社会以前の多くの農業社会では、自然の物質循環系と似たようなサイクルを社会

の基礎に発展させてきたかにみえる。例えば日本の場合、江戸時代には都市内の人糞尿

が回収されて農地へと戻されるような循環サイクルが形成されていた。これは、”食”

の延長線上に”農”的環境が循環サイクルとして整えられてきたとみることができる。

なかでも興味深いのが、食・住・衣すべてに関係をもつワラ利用の展開であった。ワラ

屋根、わらじ、蓑、縄、俵、雪沓、鍋つかみ、壁土の補強材、玩具、そして精神的宗教

的世界の領域のシンボルである神社のしめ縄に至るまで、多種多彩なワラ工芸品が生活

文化用具として利用された。もちろん最終廃棄物は田んぼや畑へ還元されたことはいう

までもない。

 そして今日、水系全体のつながりを回復させようとするユニークな運動が、日本の各

地で沿岸・養殖漁民による山に植林をする運動として広がり始めている。海を守る運動

が、山の森を守る運動と繋がりだしているのだ。海の民が山の水源地の人々と手を結ん

で植林をしたり、途中の農家の人達が、合成洗剤を使わないようにするなど水系全体の

生態系をよみがえらせようという運動である。そうした動きに対して、都市住民の支援

や協力も生まれだしている。さらに、都会の子供達に農業・農山村体験をさせ、そこで

伝統的な食文化を学んだり、生産現場(農村・山村)との繋がり(交流)を取り戻そう

といった動きも広がりはじめている。

 つまり、これからは食料を単なる栄養素や商品とだけみるのではない視点が求められ

ているのではなかろうか。食料とはもっと私たちの生活の文化だとか環境だとか、暮ら

し方全体に繋がっている根元的なものとして認識することが、日本の中でも、また国際

的にも再評価すべき時代になりつつあると思われる。とくに「食」というものは文化の

宝庫であり、「農業」はいわばエコロジーの元祖ともいえる。それらは、たんに高い安

いだけではかる商品の世界に押し込めてしまうにはもったいないほどの意味と価値を潜

在的に持っている。例えば伝統文化に目を向け、四季おりおりの季節の恵みと料理の知

恵などを見直すことで、食と農の存在をより強く実感できるはずである。

 さらに今日では、農業に対し、環境保全や景観、精神的充足や教育面などのさまざま

効用ないし多面的機能を見直そうとする動きがでてきている。生産者と消費者が直接提

携(産直)して支えている有機農業のなかでも、互いに相互啓発しながら上記のような

さまざまな価値を実現していくプロセスが生まれている。消費をめぐる世界でも、「よ

り安い物を自由に幾らでも選べる」従来の消費マインドからの脱却が、たとえばグリー

ン・コンシューマーなどをみるように消費の意味を環境面、社会面から問い直す動きと

して始まっている。地球環境問題、あるいは農業の衰退、地域の在り方、生活の豊かさ

といった問題をみても、たんに量的拡大の発想から質的な内容を吟味して環境調和的に

再構築するという文明・文化的な転換期にさしかかっているのではなかろうか。


(6) 社会経済システムのビジョン ー 文明社会の構造転換


 今後の展開としてもう一つ重要なのは、生活様式や広い意味の社会・文化をどのよう

に構築していくかである。つまり、全体的な生活様式や社会・文化的状況について環境

・社会影響評価を行いながら、あるべき方向についてトータルな仕組みをつくっていく

、それはすでにふれた、類型Cの社会・文化的内部化という大きな領域を認識し、拡大

・発展させることである。

 長期的・巨視的にみると、新たな社会経済システムの再編が資源・環境の制約下で3

つのセクターのバランス形成の中で進行していくものと思われる。つまり、社会・経済

システムとしては、旧来の資本主義・対・社会主義といった二項対立ではなく、3つの

社会経済システムの混合的・相互浸透的な発展形態として考えることが有効だというこ

とである。3つのシステムの相互関係は図  に示したとおりである。とくに第1の市

場メカニズム(自由・競争)を基にした「私」的セクターや、第2の計画メカニズム(

統制・管理)を基にした「公」的セクターに対して、第3のシステムを特徴づける協同

的メカニズム(自治・参加)を基にした「共」的セクターの展開こそが鍵をにぎると思

われる。

 つまり脱成長型社会が安定的に実現するためには、利潤動機に基づく市場経済や政治

権力的な統制だけでは十分に展開せず、市民参加型の自治的な協同社会の形成によって

こそ可能となる。それは、地域のレベルから世界レベルに至るまで、事例をあげれば共

有財産(公共財)の管理運営(都市計画・地域計画を含む)、廃棄物処理に関わる問題

、あるいは平和問題などの解決対応策を考えればわかるだろう。こうした問題の解決の

ためには、上からの管理統制や市場経済の環境コストの内部化のみならず、市民参加、

人々の自発的・協同的な活動が多面的に展開されてこそ、コスト面でもよけいな負担が

かからずにその実行性がより効果的に発揮されると思われる。つまり、企業活動の社会

的・環境的責任が定着し、市民一人一人が持続可能なライフスタイルを確立していくた

めに(社会・文化的な内部化)、「共」的セクターの展開が必須不可欠だと思われる。

 今後の発展方向が、以上のような文明ビジョンのもとで展開していくことで21世紀

文明の形成を促す土台になることを期待したい。


この論文は、第6回FOCASセミナー(1998年8月)で発表されたものです。